第9話:禁忌『里帰り』 ~開かずの通知表~
「みきわめ」を突破した翌日。 教官は、いつになく真剣な面持ちで教壇に立っていた。
「これより、卒業検定の課題を発表する」
教官は黒板に、たった一行だけ文字を書いた。
『ターゲット:生前の最愛の人物』
教室がざわつく。 最愛の人。それはつまり、親、恋人、親友……自分を最もよく知る人物のことだ。
「おいおい、マジかよ教官。オレにカーチャンをビビらせろってのか?」 ブッコミが声を荒らげる。 「冗談じゃない! そんな酷いことできるわけがない!」 みーちゃんも抗議する。
だが、教官は静かに首を振った。
「これは『優しさ』だ」
教官は俺たちを見渡した。
「お前たちが死んで、残された遺族はどうしていると思う? ……悲しみに暮れ、時が止まったまま、前に進めていない者が多い」
ドキリとした。 俺が死んでから、もう一年近くが経つ。母さんはどうしているだろうか。
「死者が現世に未練を残すように、生者もまた、死者に執着する。その執着を断ち切るには、強烈なショック療法――つまり『恐怖による別れ』が必要なのだ」
教官の言葉が重く響く。
「『あいつはもう化けて出るような幽霊になっちまったんだ』『もう私の知っているあの子じゃない』……そう思わせて、彼らを恐怖と共に日常へ送り返してやる。それが、お前たちが最後にできる親孝行だ」
……なるほどな。 綺麗に成仏して消えるだけじゃ、残された方は踏ん切りがつかないってことか。 悪役を演じて、嫌われて去る。それが俺たちの卒業制作ってわけだ。
「検定は三日後。それまでは『コースの下見(ロケハン)』として、生前の自宅への帰宅を許可する。……行ってこい。そして、覚悟を決めてこい」
***
許可を得て、俺は一年ぶりに実家へ戻ってきた。 都内にある、古びた団地の一室。 ドアをすり抜けて中に入ると、懐かしい夕飯の匂いがした。肉じゃがだ。
「……ただいま」
誰もいない玄関で呟く。 リビングに行くと、母さんが一人でテレビを見ていた。 背中が、記憶にあるよりも一回り小さくなっている。白髪も増えた気がする。
仏壇には、俺の遺影が飾られていた。 浪人中の、むさいジャージ姿の写真だ。もっとマシな写真はなかったのかよ。
「……あら、悟(さとる)。おかえり」
母さんが、遺影に向かって話しかけた。
「今日は肉じゃがよ。あんた好きだったでしょ」
母さんは、遺影の前に小鉢を供えた。 そして、その横には――「茶封筒」が置かれていた。
あれは……大学の合否通知だ。
(まだ……開けてないのか……?)
俺が死んだのは、試験結果が届く直前だった。 母さんは、俺が死んでから一年間、あの封筒を開けられずにいるのだ。
もし「合格」だったら――『あの子は受かっていたのに死んでしまった』という無念が残る。 もし「不合格」だったら――『あの子は報われないまま死んでしまった』という後悔が残る。
どっちに転んでも地獄。だから、母さんは時を止めたんだ。 俺が「ただの浪人生」のままでいられるように。
「……にゃあ」
足元で鳴き声がした。 飼い猫のタマだ。俺が踏んづけて死ぬ原因になった因縁の相手。 タマは俺の足元(霊体)が見えているのか、擦り寄ってこようとして、スカッと通り抜けてしまった。
「タマ、どうしたの? 何もないところに向かって」
母さんが不思議そうに笑う。 その笑顔は、どこか張り付いたようで、今にも泣き出しそうだった。
(……ああ、そうか)
俺は気づいてしまった。 地縛霊になっているのは俺だけじゃない。 母さんもまた、この部屋に縛り付けられた幽霊みたいなものなんだ。
俺が成仏しない限り、母さんは一生、あの開かずの封筒を見つめて、死んだ息子の幻影と暮らし続けることになる。
(……やらなきゃな)
俺は拳を握りしめた。 合格とか、不合格とか、そんなことはもうどうでもいい。 俺がやるべきことは一つ。 母さんを、腰が抜けるほどビビらせて、「もうこんな家、住んでられない!」と思わせることだ。 そして、新しい人生へ追い出してやる。
「……待ってろよ、母さん」
俺は眠っている母さんの肩に、触れられない手をそっとかざした。
「卒業検定、最高に怖いお化け屋敷にしてやるからな」
***
――翌日、合宿所。
「おかえり、浪人」
部屋に戻ると、メンバー全員が揃っていた。 みんな、昨夜とは顔つきが違っていた。 エリートは眼鏡を拭きながら沈黙し、ブッコミは窓の外を睨みつけ、みーちゃんはぬいぐるみを強く抱きしめている。
言葉はいらなかった。 全員、見てきたのだ。残された人たちが、まだ過去に囚われている姿を。
「……やるぞ、お前ら」
俺が言うと、エリートがふっと笑った。
「ああ。僕の計算によると、全員合格の確率は限りなく低い。……だが、挑む価値はある」 「泣いても笑っても最後だ。派手にやろうぜ」
ブッコミが拳を突き出す。
俺たちは円陣を組んだ。 目指すは全員合格。そして、最愛の人たちとの決別。 第104期・地縛予備軍、最後のミッションが始まる。
(第9話・完)