第4話:未来からの介入者 ~七夕の短冊とタイムパラドックス~
七月。 梅雨が明け、本格的な夏の到来を告げる太陽が、灰色の空の向こうで鈍く輝いている。 教習所の玄関には、季節行事として大きな笹飾りが置かれていた。
「……懐かしいな」
俺、田中悟は、風に揺れる色とりどりの短冊を眺めていた。 そこには、見覚えのある筆跡と願い事が並んでいたからだ。
『宝くじが当たりますように(教祖)』 『推しと結婚したい! あとフォロワー100万人!(姫)』
第1期生の教祖と、第2期生の姫。 彼らはもう無事に卒業し、それぞれの場所で活躍しているはずだ。これは、彼らが在学中に書いたものが、片付け忘れられて残っていたのだろうか?
「……教官。それを書いたのは誰だ?」
背後から声をかけられた。白衣の青年、カイだ。 彼は冷ややかな目で短冊を凝視している。
「ああ、これは卒業生だよ。数年前にここを巣立った……」 「数年前? ……おかしいな」
カイは遠慮なく短冊に触れ、指先で文字をこすった。 すると、指の腹に黒いインクがべっとりと付着した。
「見ろ。インクが乾いていない」
「え?」
「紙の酸化具合、インクの粘度……どう見ても『数分前』に書かれたものだ。数年前の遺物が、なぜ新品の状態でここにある?」
俺は背筋が寒くなった。 確かに、紙はパリッとしていて、雨風にさらされた様子がない。まるで、今さっき彼らがここにいて、書いていったかのような……。
「仮説だ」
カイは眼鏡の位置を直した。
「ここは単なる空間ではない。過去・現在・未来の座標軸がねじれ、混線している『時間の吹き溜まり(ジャンクション)』だ。 強い情念(データ)を持った存在は、時間軸を無視してここに痕跡を残す……あるいは、並行世界の彼らが今まさにここにいる可能性すらある」
カイは空を見上げた。
「……不安定すぎる。この空間は、いつ崩壊してもおかしくない」
***
その頃。教室の窓際で、ナナが厳しい表情で端末を操作していた。
『警告:時空歪曲レベル、危険域に到達』 『原因:特異点(カイ)による因果律への干渉』
ナナは短冊の異常現象にも気づいていた。 過去の幻影(教祖や姫)が現れるのは、時空の防壁が薄くなっている証拠だ。その原因は明らかだった。
「……やるしかないわね」
ナナは銀色のスーツの袖をまくった。 彼女の瞳には、個人の感情はなかった。あるのは、歴史を守るという冷徹な使命感だけだ。
***
放課後。 人気のない屋上で、カイはフェンスに寄りかかり、虚空を見つめていた。 彼が見ているのは、目の前の景色ではない。脳内でシミュレートしている「過去」のデータだ。
「……計算が合わない。あの日の事故を回避するには、信号機のタイミングを0.5秒ずらす必要がある。だが、そのバタフライエフェクトが甚大すぎる……」
カイが独り言を呟いていると、背後の鉄扉が開いた。
「無駄よ。過去は変えられない。……いいえ、変えさせてはいけない」
ナナが立っていた。 いつもの冷ややかな態度だが、今日は纏っている空気が違う。 鋭利な刃物のような殺気が、カイに向けられている。
「……君か。未来人さん」 カイは振り返らずに答えた。 「僕の計算の邪魔をしないでくれないか。七夕の異常現象を見て確信したよ。ここは時間が曖昧だ。ここなら、過去へのアクセスゲートが開ける」
「あなたの計算こそが、世界を壊しているのよ」
ナナが右手を掲げた。 彼女の手のひらから、幾何学模様の光のリングが出現し、カイの周囲を取り囲む。 『時間凍結フィールド(クロノ・ロック)』。対象の時間を局所的に停止させ、存在ごと隔離する未来の拘束具だ。
「なッ……!?」 カイが動けなくなる。
「私は西暦2200年代から来た、時空管理局のエージェント。……カイ、あなたを『歴史的特異点(シンギュラリティ)』として認定し、排除する」
「排除……? 僕を殺す気か?」
「あなたはもう死にかけているわ。正確には、あなたの意識データを強制的に消去し、乱れた因果律を修復するだけ」
ナナが指を振るうと、光のリングが収縮し、カイを締め上げる。 霊体(意識データ)がきしむ音がする。
「待て……! 僕には、やらなきゃならないことがあるんだ! レイナを……彼女を助けるまでは!」 「……無意味よ」
ナナは冷たく言い放った。
「私が調べたわ。あなたの恋人、『月島 レイナ』。彼女の死は、歴史における確定事項(フィックス・イベント)よ。 彼女が死ぬことで、その後の医療技術が発展し、多くの命が救われる未来に繋がっている。 あなたが彼女を救えば、その未来は消失し、数億人の命が失われる計算になる」
――多数のために、少数を犠牲にする。 それが未来の、そして歴史のルールだ。
「……ふざけるな」
カイの目から、理知的な光が消えた。 代わりに宿ったのは、科学者としてあるまじき、昏い情念の炎だった。
「数億人がどうした。歴史がどうした。……レイナがいない未来なんて、僕にとってはゴミ屑と同じだ!」
バヂヂヂッ!!
カイの全身から、青白いスパークが迸った。 彼の「執着」が、膨大な霊的エネルギーとなってあふれ出し、未来の科学で作られた拘束具を、内側から押し広げていく。
「な……!? 拘束フィールドが、物理的に干渉されている!? ありえない、ただのデータのはずなのに!」 ナナが驚愕する。
「僕は科学者だ。だが、その前に一人の男だ! 確率がゼロなら、変数を書き換えて1にする! それが僕の科学だ!」
カイが咆哮する。 彼の背後に、巨大な数式の羅列が幻影となって浮かび上がり、ナナのシステムにハッキング攻撃を仕掛けた。
「警告! システムエラー! 対象の霊的質量、計測不能!」
ナナのホログラムが赤く染まる。屋上の空間が歪み、昼と夜が混ざり合ったような異様な空模様に変わる。
***
「やめろお前ら!!」
俺、田中悟が屋上の扉を蹴破って飛び込んだ。 空間の歪みで吹き飛ばされそうになりながら、二人の間に割って入る。
「教官!? どいて、巻き込まれるわよ!」 「邪魔だ! こいつを排除しないと、僕が帰れない!」
「どっちもどかねえよ! 生徒同士で殺し合いなんかさせてたまるか!」
俺は両手を広げ、二人のエネルギーを真正面から受け止めた。 ビリビリと魂が焼けるような痛みが走る。 だが不思議なことに、俺が触れた瞬間、二人の暴走するエネルギーが急速に減衰していった。
「な……力が、抜ける?」 カイが膝をつく。 「フィールドが解除された……? 教官、あなた何をしたの?」 ナナが目を見開く。
俺には分からない。ただ、止めたかっただけだ。
「いいか、よく聞け! ナナ! 歴史がどうとか知らんが、今こいつは俺の生徒だ! 卒業するまでは指一本触れさせん!」
俺はナナを睨み、次にカイに向き直った。
「カイ! お前もだ! 世界を敵に回しても恋人を救う? 結構だ、ロマンチックじゃねえか。……だがな、そのために他の誰かを犠牲にするなら、お前はただの悪霊だ!」
「……っ」
「俺たちは『幽霊教習所』だぞ。……理不尽な運命に抗って、それでも何かを残そうとする場所だ。 殺し合う暇があったら、二人で知恵を絞れ! 誰も死なない、最高の『第三の選択肢』を探せよ!」
俺の怒号が、歪んだ空気を正常に戻していく。 カイのスパークが収まり、ナナのリングが消滅する。
「……非論理的だ」 カイが荒い息を吐く。 「……感情論ね」 ナナがホログラムを閉じる。
だが、その瞳からは、先ほどまでの殺意は消えていた。
「……分かったわ、教官。今日のところは『保留』にする」
ナナは髪をかき上げた。
「ただし、勘違いしないで。私は諦めたわけじゃない。カイ、あなたが歴史を壊す兆候を見せたら、次こそ確実に消去する」 「……やってみろ。その前に僕が、君の予測演算を超えてみせる」
二人は視線を交わした。 和解ではない。だが、互いを「敵」としてではなく、「乗り越えるべき壁」として認識し直した瞬間だった。
***
帰り道。 俺は再び笹飾りの前を通った。 風に揺れる短冊の中に、いつの間にか新しいものが増えていることに気づいた。
白衣のポケットから落ちたのだろうか。 数式まみれのメモ用紙の裏に、震える文字でこう書かれていた。
『もう一度、君に会いたい』
そして、その隣には、銀色のシールのような短冊。
『任務完了まで、この世界(クラス)を観測する』
俺は苦笑いした。 素直じゃない連中だ。
だが、俺たちはまだ知らなかった。 今日の短冊の異常現象や、カイとナナの衝突によって発生した時空の歪みが、さらなる「招かれざる客」を呼び寄せてしまったことを。
夜空を見上げるガラが、虚空に向かって呟いていた。
「……シグナル、受信。……掃除屋(クリーナー)、到着スル」
上空の雲の切れ間から、不気味な光が明滅し始めていた。 それは星の輝きではなく、この世界を「バグ」として処理しに来た、高次元の眼差しだった。
(第4話・完)