第8話:エントロピーの増大 ~恐竜と侍と、絶対観測者~
十一月。 木枯らしが吹き荒れる季節だが、今の第13量子干渉クラスに「季節」などという意味はなくなっていた。
ギャアアアオォォン!!
教室の窓ガラスが粉砕され、巨大な顎(あご)が飛び込んできた。 ティラノサウルスだ。 白亜紀のジャングルと教室が、空間的に接続されてしまっている。
「ひぃぃぃ! 食べられるぅぅ!」 シュレが机の下に潜り込む。 「報告! 廊下にて戦国武将の騎馬隊と遭遇! 未来の殺人ロボットと交戦中です!」 ナナがバリケードを築きながら叫ぶ。 「ワレワレハ……宇宙ノ、塵……」 ガラがパニックで点滅している。
エントロピーの増大。 秩序が崩壊し、無秩序へと向かう物理法則の絶対的な流れ。 カイの観測のブレ(迷い)がトリガーとなり、この「教習所」という座標を維持していたタガが外れてしまったのだ。
「……計算不能だ。時空連続体がスパゲッティのように絡まっている」
カイは瓦礫の陰で、必死にノートパソコンを操作していた。 だが、画面には『FATAL ERROR(致命的なエラー)』の文字が並ぶだけだ。
「僕のせいだ……。僕が『どちらの未来も選べない』なんて甘いことを考えたせいで、世界がバグってしまった……!」
カイが絶望に沈みかけた、その時だった。
バシィッ!!
乾いた音が響いた。 田中教官が、ティラノサウルスの鼻先を、出席簿で思いっきりぶん殴った音だ。
「こらァァッ!! 校舎内は土足厳禁だ! 上履きを履いて出直してこい!」
ギャンッ!? 最強の肉食恐竜が、田中の気迫(理不尽な説教)に怯み、すごすごと窓の外へ退散していった。
「おい、そこの侍! 廊下を馬で走るな! あとロボット! ビーム撃つならグラウンドでやれ! 他のクラスの迷惑になるだろうが!」
田中は仁王立ちになり、時空を超えて現れた「異物」たちを次々と叱り飛ばしていく。 不思議なことに、言葉の通じないはずの恐竜も、プログラムされたロボットも、田中の怒号を聞くと「シュン」となって消えていくのだ。
「……な、なんだあれは……?」
カイは目を疑った。 物理法則を無視した光景。 時空が崩壊しているのに、なぜか「教室の形」だけは辛うじて維持されている。
カイの脳内で、閃きが走った。
「……そうか。分かったぞ」
カイは震える手で眼鏡を直した。
「なぜ、この不安定な『死後の世界』が、今日まで『学校』という形を保っていられたのか。 なぜ、未来人も、過去の兵士も、宇宙人も、同じ教室で授業を受けられたのか」
カイは、怒鳴り散らしている田中教官を指差した。
「ナナ。……この空間の『アンカー(錨)』は、僕じゃない。……あの人だ」
「え? 教官が?」
「そうだ。量子力学において、事象を確定させるのは『観測者』だ。 このカオスな吹き溜まりを、『ここは学校だ』『お前らは生徒だ』と、狂気的なまでに強く信じ込み、定義し続けている存在。 ……彼こそが、この世界を縛り付ける『絶対観測者』なんだ!」
***
田中の「思い込み」の力。 それは、「恐竜だろうが宇宙人だろうが、俺のクラスに入れば生徒だ」という、科学を超越した精神論(オカルト)だった。 その強烈な観測こそが、バラバラになりそうな時空を無理やり繋ぎ止めているのだ。
「……すげえ。あの人の『石頭』は、物理法則すらねじ曲げるのか」
カイは感嘆と呆れが混じった声を出した。 だが、限界は近い。 田中のジャージが、ノイズのように透け始めている。 世界の崩壊を一身に支えているせいで、彼自身の存在データが摩耗しているのだ。
「教官! もういい、下がってください! あなたが消えてしまう!」
カイが叫ぶ。
「うるせえ! 俺の生徒だ! 卒業するまでは、誰一人として行方不明にはさせん!」
田中は引かない。 その背中を見て、カイは決断した。
「……ナナ。シュレ。ガラ」
カイは仲間たちを見た。
「僕が間違っていた。『誰も犠牲にしない』なんて甘い考えが、教官を殺し、世界を壊そうとしている」
カイはパソコンを閉じた。
「僕はこの世界から出ていく。……元の時代(現世)へ帰る」
「えっ? でも、どうやって? 過去へのゲートは……」 ナナが問う。
「過去じゃない。『現在』へ帰るんだ」
カイは説明した。
「僕という『特異点(異物)』がここにいるから、時空が歪む。僕がいなくなれば、この教室は安定し、教官も助かる。 ……そして、現世に戻った僕が、外側から『観測』することで、君たちの存在を証明し続ける」
それは、カイにとっての「敗北」でもあった。 現世に戻れば、レイナはもう死んでいる。過去を変えるチャンスは永遠に失われる。 だが、目の前の仲間と、恩師を救うためには、それしか道はない。
「……準備をする。教官の『絶対観測』の力が残っているうちに、僕をこの座標から射出してくれ」
カイは黒板に向かった。 書き込むのは、過去改変の数式ではない。 この世界から脱出するための、『帰還シークエンス』だ。
教室の亀裂が広がる。 恐竜の咆哮が近づく。 崩壊のカウントダウンが始まる中、カイは迷いのない瞳でチョークを握りしめた。
「授業再開だ。……これが、僕の最後の実験になる」
(第8話・完)