第8話:みきわめ『事故物件の住人追い出し』 ~最強の鈍感力 vs 最弱の気配~
夏合宿も終わり、いよいよ教習所での生活も大詰めを迎えていた。 今日は「みきわめ」。これをパスすれば、ついに卒業検定への挑戦権が得られる重要な試験だ。
舞台は、都内某所の古いアパートの一室。 いわゆる「事故物件」だ。
「ターゲットは、この部屋に住み着いたフリーター、田中ケンタ(25)だ」
教官がタブレット端末でターゲットのプロフィールを表示する。
「こいつは筋金入りの『鈍感』だ。これまで何人もの先輩幽霊が挑んだが、誰一人として彼を怖がらせることができず、逆に自信を喪失して成仏(引退)していった」
部屋の中を覗くと、ターゲットのケンタは、高性能ヘッドホンを装着し、PCのモニターに齧(かじ)りついていた。FPS(撃ち合い)ゲームに夢中らしい。
「制限時間は30分。彼に『ここはヤバイ』と認識させ、部屋から逃亡させれば合格だ」
教官の合図と共に、試験がスタートした。
***
「フッ、まずはジャブといこうか」
一番手のエリートが、部屋の照明を明滅させる。 チカチカと激しく点滅する蛍光灯。普通なら「なんだ!?」と驚くところだが……。
「あー、蛍光灯切れかけてるわ。Amazonで注文しとくか」
ケンタは一瞬天井を見上げただけで、すぐにゲームに戻ってしまった。 エリートが膝から崩れ落ちる。
「くそっ、次だ! 音で攻めるぞ!」
ブッコミと教祖が、背後でポルターガイスト攻撃を仕掛ける。 ドンドン! ガタガタ! 壁を叩き、本棚を揺らす。
「チッ、隣の住人うるせーな……壁薄すぎだろこのアパート」
ケンタは舌打ちを一つすると、ヘッドホンのノイズキャンセリング機能をオンにした。 完全遮断。こちらの音が全く届いていない。
「おのれぇ……ならば視覚攻撃だ!」
みーちゃんが、モニターの画面に割り込んだ。 ゲーム画面の敵キャラクターを、血まみれの自分の顔に書き換える。
「うわラグっ! バグった! グラボのドライバー更新しなきゃ……マジ使えねー」
ケンタはイライラしながらPCを再起動し始めた。 心霊現象をすべて「設備の不具合」か「PCの不調」で片付けてしまう。こいつの鈍感力(スルー・スキル)は鉄壁だ。
「だ、ダメだ……通じない……」 「心が折れそうだ……こっちの存在を1ミリも認めてくれない……」
メンバー全員が敗北感に打ちひしがれる。 このままでは全員不合格。地獄行きだ。
「……あのぉ」
その時、部屋の隅で体育座りをしていたぬらり先輩が、おずおずと手を挙げた。
「私が……行ってみてもいいでしょうか」 「ぬらり先輩? でも、先輩の霊力じゃ……」 「ええ。ラップ音も出せないし、姿も見せられません。でも……私、『嫌な予感』なら得意なんです」
ぬらり先輩は、ゆらりと立ち上がった。 その背中はいつにも増して薄く、今にも消え入りそうだ。
彼はケンタの背後に音もなく近づくと、ピッタリと背中に張り付いた。 そして、何をするわけでもなく、ただじっとりと俯(うつむ)いた。
――1分経過。
「……ん?」
ケンタが首を傾げ、ゲームの手を止めた。
「……なんか、肩が重いな」
お? 効いてるのか?
ぬらり先輩は、さらに顔をケンタの耳元に近づけた。 声は出さない。ただ、「はぁ……」という、この世の不幸を全て詰め込んだような「負の吐息」を吹きかけ続ける。 生前、満員電車やオフィスで培った「不快な密着」と「陰鬱なオーラ」。それを極限まで濃縮した攻撃だ。
「なんだ……? エアコン効きすぎか?」
ケンタがヘッドホンを外した。 その瞬間、ぬらり先輩は耳元で、聞こえるか聞こえないかギリギリの音量で呟いた。
「……どうせ……負けるよ……」 「……人生……詰んでるよ……」
「!?」
ケンタがバッと振り返る。 しかし、そこには誰もいない。 ぬらり先輩は、ケンタが振り返る速度に合わせて、常に視界の死角(背後)へと回り込んでいるのだ。
「誰だ? ……誰もいないよな?」
ケンタの顔に冷や汗が浮かぶ。 恐怖ではない。もっとじっとりとした、不快感と不安。
「なんか……ここにいたくないな……」
ケンタが立ち上がる。 ぬらり先輩は、影のようにへばりついたまま離れない。 「トイレに行っても」「水を飲んでも」、常に背後に誰かが立っている気配。 鏡を見ても誰も映っていないのに、首筋には生温かい息がかかる。
「……う、うわああああ!! なんだよこれ!!」
ついにケンタの精神が限界を迎えた。 彼は「見えない何か」に耐えきれず、財布とスマホだけを掴んで部屋から飛び出した。
「も、もう無理! 今日は漫喫(まんきつ)に泊まる!!」
バタン!! ドアが閉まり、ケンタの足音が遠ざかっていく。
シーン……と静まり返る部屋。 ぽつんと残されたぬらり先輩が、こちらを振り返って弱々しくピースサインをした。
ピピピッ! 教官のタブレットが高らかに鳴り響く。
「……判定」
教官は興奮気味に言った。
「素晴らしい。『驚かす』のではなく『精神を削る』という高等テクニックだ。相手に『幽霊だ』と認識させず、生理的嫌悪感だけで追い出すとは……これぞジメジメ系Jホラーの真骨頂!」
教官はぬらり先輩を指差した。
「ぬらり、MVPだ! 単独でSTPプラス50点!」 「ご、50点!? 私なんかが……!?」
ぬらり先輩は驚きのあまり、また泣き出してしまった。 エリートが悔しそうに眼鏡を直す。
「……負けたよ。僕の計算式には『陰気臭さ』というパラメータが欠けていたようだ」 「へへッ、やるじゃねえかオッサン!」
ブッコミがぬらり先輩の背中をバシバシ叩く(霊体だから抜けるけど)。 こうして、俺たち「地縛予備軍」は、最大の難関だった「みきわめ」を全員で突破したのだった。
そして。 いよいよ物語は最終章へ。 俺たちがこの教習所を卒業するための最後の試練――「卒業検定」が幕を開ける。
(第8話・完)