最終話(第12話):Q.E.D.(証明終了) ~観測者たち~
数年後、三月。 都内の大学キャンパスは、春の陽気とアカデミックガウンを纏った卒業生たちで賑わっていた。 その一角にある研究棟の最上階。 常盤 駆(カイ)准教授の研究室は、静寂に包まれていた。
「……先生。本気ですか? 今日の学会でそれを発表するなんて」
助手の学生が、不安そうに尋ねる。 カイは白衣のポケットに手を突っ込み、窓の外を見下ろしていた。
「本気だよ。僕は、この数式を証明するために蘇ったんだ」
デスクの上には、一冊の古いメモ帳。 あの日、病室で書き殴った意味不明な数式。 記憶はない。だが、この数式を見るたびに、胸が締め付けられるような懐かしさと、突き動かされるような焦燥感があった。
カイはモニターを指差した。 画面には、複雑な量子力学のシミュレーションが表示されている。
「『多次元間・意識通信理論』。 肉体(ハードウェア)を失った意識データが、特定の波長で現世に干渉していることを証明し、さらに、こちら側からその領域へアクセスする技術だ」
カイは、かつて自分が苦悩した「パラドックス」の答えを、ついに導き出していた。
『過去を変える(物理的な蘇生)』のではない。 『死後の意識を観測し、対話する(霊的な共存)』こと。
これなら、歴史は変わらない。恋人・レイナが死んだ事実は残るため、未来人(ナナ)の存在も消えない。 しかし、レイナの意識と再会し、言葉を交わすことができれば――それはカイにとって、実質的な「救済」となる。
誰の未来も奪わず、誰の想いも捨てない。 それが、カイが見つけた「第3のルート」だった。
「……装置を起動しろ。証明終了(Q.E.D.)の時間だ」
***
――幽霊教習所、第13量子干渉クラス。
あの日から、教室の時間は緩やかに流れていた。 崩壊した校舎は、ガラの高次元パワーと、シュレの多重存在による人海戦術で、以前よりもピカピカに修復されていた。
「……さて。今日でお別れだな」
田中教官が教壇に立つ。 彼の体は、以前よりも薄くなっていた。 あの日、カイを送り出すために全てのエネルギーを使い果たした彼は、今や風前の灯火だった。
「教官……」 シュレが涙ぐむ。
「泣くな。俺は消えるわけじゃない。……ただ、少し長い休みをもらうだけだ」
田中は強がって笑った。 その時、教室の空気が変わった。
『アクセス承認。……次元ゲート、接続』
黒板の前に設置されていた古いモニターが、突然ノイズを上げて起動した。 ザザッ……ザザザッ……。 砂嵐の向こうから、鮮明な映像が浮かび上がる。
そこには、大人びた顔つきになった白衣の青年――カイが映っていた。
「……!」 教室がどよめく。
『……聞こえますか。そちら側の、皆さん』
モニター越しのカイが、語りかけてくる。 こちらの姿は見えていないはずだ。だが、彼は確信を持ってカメラを見つめていた。
『僕には、そちらでの記憶がありません。 でも、僕の魂が覚えています。……あなたたちが、僕を救ってくれたことを』
カイは深々と頭を下げた。
『おかげで、僕は答えに辿り着けました。 ……ありがとう。名も知らぬ、最高の友人たち』
その言葉を聞いた瞬間、教室の隅にいたナナの体が、光の粒子となって分解され始めた。
「ナナちゃん!?」
「……ふふ。どうやら、私の任務も完了したみたいね」
ナナは満足げに微笑んだ。 カイが「正しい未来」を選んだことで、歴史が確定したのだ。 彼女は消滅するのではない。本来あるべき「未来」へと帰還するのだ。
「カイ……。あなたは最高の科学者よ」
ナナはモニターに手を伸ばし、光となって消えていった。
「ワタシモ、行ク」 ガラが空を指差す。天井が開き、本物のUFO(迎え)が光を降ろしていた。 この世界が安定したことで、正しい座標が伝わったのだ。
「私も……行くね」 シュレが立ち上がる。 彼女はもうブレていない。 「私は私だ」という確固たる意志を持った彼女は、新しい人生(来世)へと歩き出した。
次々と旅立つ生徒たち。 教室には、田中だけが残された。
モニターの向こうで、カイが言った。
『……そして、教官。そこにいますね?』
田中はハッとして顔を上げた。
『あなたのおかげで、僕は「見えないもの」を信じることができました。 ……これからは、僕があなたを「観測」します。 僕がこちらの世界から、あなたの存在を証明し続ける限り……あなたは消えない』
カイは、実験デスクの片隅に飾られた写真立て――亡き恋人・レイナの写真に手を触れ、そしてモニターに向かって親指を立てた。
『……卒業おめでとうございます、先生』
その瞬間。 田中の体に、現世からの莫大なエネルギーが流れ込んだ。 透けかけていた手足が、みるみるうちに実体感を取り戻していく。 カイという強力な観測者が、田中の存在を「再定義」したのだ。
「……へっ」
田中は涙をこらえ、モニターに向かって突き返した。 教官としての、威厳ある親指を。
「……生意気な生徒だ。満点だよ、バカヤロウ」
***
――エピローグ。
数年後の幽霊教習所。 第4教場は、今日も相変わらずの賑わいを見せていた。
「おいコラ! 廊下をドローンで飛ぶな!」 「先生ー! VRお化け屋敷の実習やりましょうよー!」
新しい時代の、新しい問題児たち。 田中教官は、彼らに怒鳴り散らしながらも、どこか楽しげだった。
教室の壁には、歴代の卒業生たちの集合写真が飾られている。 ヤンキー、オカン、宇宙人、未来人……。 そしてその中心には、ふてぶてしい顔をした白衣の青年と、その隣でVサインをする教官の姿があった。
ガララッ。 扉が開く。
「遅れましたー! すいませーん!」
遅刻してきた新入生に、田中はチョークを投げつけた。
「遅いッ! ここは地獄の一丁目だぞ! ……さあ、授業を始める。死ぬ気でついてこい!」
死んでも浪人、死んでも青春。 観測される魂がある限り、この教室のチャイムは鳴り止まない。
『Q.E.D.(証明終了)』
(第3期・完)