第7話:覚醒『デジタル・カース』 ~顔認識の枠(フレーム)が追ってくる~
十月。 街がオレンジと黒のハロウィンカラーに染まる季節。 現世の若者たちが仮装をして渋谷に集まる中、俺たち幽霊教習所の面々もまた、少し浮き足立っていた。 ハロウィンは、あの世とこの世の境界が曖昧になる、幽霊にとっての「書き入れ時」だからだ。
「トリック・オア・トリート! お菓子くれないと自撮り送りつけるよ!」 姫(ヒメ)が血糊メイクのまま、カボチャのバケツを持ってはしゃいでいる。 「西洋の祭りなど軟弱! 日本男児ならカボチャの煮付けを食え!」 軍曹がカボチャを サーベル(軍刀)で叩き切ろうとしている。
そんな喧騒の中、デジタルだけは教室の隅で静かにスマホを見つめていた。 以前のような気だるげな様子はない。その目は、獲物を狙うハッカーのように鋭く光っていた。
「……先生。今日の課題、俺に行かせてください」
デジタルが立ち上がった。
「合宿で教わったこと……試してみたいんすよ。『データ』じゃなくて『心』をハックするってやつを」
俺はニヤリと笑った。 顔つきが変わったな、デジタル。
「いいだろう。今日のターゲットは、お前にうってつけの相手だ」
***
ターゲットは、登録者数100万人越えの暴露系ライブ配信者・KEN(ケン)。 彼は今夜、ハロウィン特別企画として『心霊スポットの廃病院でひとりかくれんぼ』という生配信を行っていた。
廃病院の一室。KENはスマホのカメラに向かって、小馬鹿にしたように喋り続けている。
『はーい、開始から30分経過しましたけどー、何も起きませーんw やっぱ幽霊とか科学的にありえないっすわー。スパチャありがとうございますー』
KENは典型的な「否定派」だ。 ちょっとした物音も「風ですね」、機材トラブルも「電波悪いだけ」と一蹴する。かつてのデジタルにそっくりだ。
「……ムカつくな、コイツ」
現場に潜入したデジタルが、舌打ちをした。
「昔の俺を見てるみたいで、イライラするっすわ」 「どうする? いつものようにノイズを走らせるか?」
俺が聞くと、デジタルは首を横に振った。
「いいえ。エリート先輩に言われたんすよ。『恐怖とは引き算だ』って。……派手なエフェクトは使いません」
デジタルはスマホを操作し、配信のコメント欄に侵入した。 そして、たった一言だけ書き込んだ。
『うしろ』
KENがコメントに気づく。 『あ? 「うしろ」? アンチ乙。そういうの古いから。誰もいないっつーの』
KENはカメラをぐるりと回して、無人の背後を映した。 何もいない。
「……今だ」
デジタルが動いた。 彼はポルターガイストを使わなかった。音も立てなかった。 ただ、ぬらり先輩直伝の『気配消去』を使い、KENの死角に音もなく忍び寄った。
そして、KENが使っている配信アプリのシステム内部に干渉した。 彼がいじったのは、たった一つの機能。 『顔認識オートフォーカス』だ。
***
『ほらね、誰もいない……ん?』
KENが画面を覗き込む。 配信画面には、KENの顔を認識する「黄色い四角い枠」が表示されている。 だが。 その枠が、もう一つ増えていた。
KENの左肩の後ろ。何もない闇の空間に、顔認識の「黄色い枠」が浮かんでいる。
『え? バグ? 顔認識誤作動してるわー』
KENは笑い飛ばそうとした。 だが、コメント欄がざわつき始める。 『おい、枠が動いてないか?』『近づいてきてる』
そう。 何もない空間に浮かんだ「黄色い枠」が、少しずつ、ジリジリとKENの顔に近づいてきているのだ。 まるで、見えない誰かが耳元に顔を寄せようとしているかのように。
『ちょ、待って。消えないんだけど。再起動……』
KENが焦ってスマホをタップするが、画面は反応しない。 デジタルのハッキングだ。 黄色い枠は、ついにKENの顔の真横で停止した。
『……見つけた』
スピーカーからではなく、KENのイヤホン(耳元)から、湿り気を帯びた生々しい声が聞こえた。 合成音声ではない。デジタルの生の声だ。
「ひっ!?」
KENが凍りつく。 心拍数が急上昇する。
『お、おい……誰だ……? そこにいるのか……?』
KENは震えながら、インカメラの映像を凝視した。 何もうつっていない。ただ黄色い枠があるだけだ。 その時。
パッ。
一瞬だけ、画面がブラックアウトした。 配信が切れたわけではない。デジタルが画面の輝度をゼロにしたのだ。 真っ暗になったスマホの画面。 そこには、鏡のようにKEN自身の怯えた顔が映り込んでいる。
そして――KENの背後に、フードを被った蒼白な少年(デジタル)が映り込んでいた。
「!?」
デジタルは、画面の中(鏡像)でニヤリと笑った。 そして、現実のKENの肩に、氷のように冷たい手を置いた。
「……ここだよ」
「うわあああああああああ!!」
KENの絶叫が廃病院に響き渡った。 彼はスマホを放り投げ、機材を置き去りにして、転がるように部屋から逃げ出した。
投げ出されたスマホの画面には、天井が映っていた。 コメント欄は『ガチだ』『放送事故』『今の顔見た!?』と阿鼻叫喚の嵐。 同接数は10万人を超えていた。
***
――教習所、教室。
ピピピッ! 俺のタブレットが高らかに鳴り響いた。
「……判定」
俺は震える声で告げた。
「ターゲットは恐怖のあまり逃走。視聴者にも強烈なトラウマを植え付けた。……STP、95点(Sランク)だ」
「よっしゃあ……!」
デジタルがガッツポーズをする。 だが、すぐにふらりと倒れ込んだ。霊力の使いすぎだ。
「やったな、デジタル! 見直したぞ!」 俺が駆け寄ると、デジタルは汗だくの顔で笑った。
「へへ……疲れたっす。派手なエフェクト使うより、ジッとしてる方がキツイなんて……ぬらり先輩、マジで化け物っすわ」
「凄かったわよ! あの『枠』だけ近づいてくる演出、天才!」 姫が興奮して拍手する。 「うむ。敵の心理的死角を突く、見事な潜伏工作であった」 軍曹も深く頷く。
「ま、わしのバック走行には負けるがの」 銀之助が余計な一言を挟むが、その顔は孫を見るように優しかった。
デジタルは、自分のスマホを取り出した。 画面はバキバキのままだが、そこにはKENの配信のアーカイブが表示されている。 『神回』というタグがついたその動画を見て、デジタルは満足げに呟いた。
「アナログとデジタルの融合……これぞ『ハイブリッド怪談』っすよ」
こうして、落ちこぼれだったデジタルは、最初の一歩を踏み出した。 その背中は、もはやスマホ依存のひ弱な少年ではなかった。
(第7話・完)