第3話:特別講師『トイレの花子さん』 ~昭和の怪談 vs 令和の暴走~
七月。 梅雨が明け、セミの鳴き声が暑苦しく響き渡る初夏。 だが、俺の心は真冬のように冷え込んでいた。
「……田中教官。君のクラス、修理費の請求額が過去最高を更新したぞ」
教頭(元・鬼教官)が、震える手で請求書を突きつけてきた。 先日のマンション全壊事件の賠償金だ。俺の向こう30年分の給料が消し飛んだ計算になる。
「申し訳ありません……」 「破壊だけではない。君の生徒には、幽霊としての『情緒』が欠けている! デジタルの効率主義、老人の暴走……これではただの災害だ!」
教頭はメガネをクイッと押し上げた。
「そこでだ。今日は特別講師を呼んである。恐怖の原点、Jホラーの美学を叩き込んでもらえ」
***
その夜。俺たちは教習所の敷地外れにある、廃校となった旧木造校舎に来ていた。 ギシギシと鳴る廊下。湿ったカビの匂い。 雰囲気は抜群だ。
「えー、マジ汚いんだけど。ここで授業とかありえなくない?」 姫(ヒメ)が鼻をつまんで文句を言う。 「Wi-Fi飛んでねーし。圏外とか終わってるわ」 デジタルがスマホを振って電波を探している。
俺は彼らを連れて、3階の女子トイレの前に立った。
「静かにしろ。中にいるのは、この道のレジェンドだ」
俺は緊張しながら、3番目の個室をノックした。 コン、コン、コン。
「……花子さん、いらっしゃいますか」
ギィィィ……
重々しい音と共に、ゆっくりと扉が開く。 闇の中から現れたのは、おかっぱ頭に赤い吊りスカートの少女。 誰もが知る怪談の女王、トイレの花子さんだ。
「……遅いッ!!」
ドガァッ!!
花子さんのローキックが、先頭にいた俺の脛(すね)に炸裂した。
「痛っ!?」 「授業開始のチャイムから3分遅刻だ! 貴様らが噂の『第108期・崩壊学級』か! 整列!」
花子さんは、可憐な見た目に反して、声も性格も完全に『鬼軍曹』だった。
「いいか! 私は最近の幽霊に腹が立っている! ドローンだのVRだの、小賢しい技術ばかり使いおって! 恐怖とはな、『間』と『想像力』なんだよ!」
花子さんはビシッと指を差した。
「今から私が手本を見せる。昭和から語り継がれる『奥ゆかしい恐怖』をその目に焼き付けろ!」
花子さんは個室の中に戻り、演技を開始した。
……シーンとした静寂。 ポタ、ポタ、と水滴の落ちる音が響く。 そして、ゆっくりと、本当にゆっくりと、ドアノブが回り始める。
「……見てみろ、あのドアノブの回転速度。あれが『来るぞ来るぞ』と思わせる恐怖の演出だ」
俺が小声で解説する。しかし、生徒たちの反応は冷ややかだった。
「うわ、遅っ。タイパ悪すぎでしょ」 デジタルがあくびをした。 「自動ドアにすればよくね? センサーでウィーンって開いた方がビビるっしょ」 「はぁ? 情緒がないな若者は!」
花子さんがドアを蹴破って出てきた。
「この『じらし』が怖いんだろうが!」 「いやー、その髪型も古くないですか? おかっぱとか今どき流行んないし。インナーカラー入れるとか、せめてシースルーバングにしないと」 姫がダメ出しをする。 「やかましい! これはトレードマークだ!」
「報告します!」 今度は軍曹が挙手した。 「教官殿(花子さん)のスカート丈は、軍律違反であります! 膝上数センチなど破廉恥極まりない! もっと長いものを履き、国民服を着用すべきです!」 「私は小学生の設定だ! 国民服なんか着れるか!」
さらに、マダムが腕まくりをして個室に突入しようとした。 手にはなぜか、緑色のボトル(サンポール)とブラシが握られている。
「ちょっと花子ちゃん、ここ便器の裏が汚れてるわよ! トイレの神様が泣いてはるわ! どきなさい、おばちゃんが磨いたるから!」 「やめろ! そこは私の聖域(テリトリー)だ! 勝手に掃除するな!」
カオスだ。 レジェンドの威厳が、寄ってたかって粉砕されていく。 花子さんの額に青筋が浮かんだ。
「ええい、もういい! 貴様らには『究極の恐怖』を味あわせてやる!」
花子さんは再び個室に入り、鍵をかけた。
「私がこれから行うのは、霊力を極限まで高めて放つ『戦慄の霊圧(テラー・オーラ)』だ。危害は加えないが、あまりのプレッシャーに魂が凍りつくぞ。準備に5分かかる。その間、震えて待っていろ!」
バタン! ドアが閉まり、中から「ううぅぅぅ……」という低い唸り声と、禍々しい妖気が漏れ始めた。 さすがはレジェンド。空気がビリビリと震えている。
だが。 5分待つことができない男が一人いた。
「おい、まだか! わしはトイレが近いんじゃ!」
最前列で貧乏ゆすりをしていた銀之助(ミサイル爺さん)だ。
「爺さん、待て! 今は実習中だ!」 「うるさい! さっきから唸りおって……ははん、さては紙がないんじゃな? もしくは便秘か?」
銀之助は勝手な解釈をして、杖でドアを叩いた。
「おいねーちゃん! 大丈夫か! わしが助けてやるぞ!」
中から花子さんの怒鳴り声が聞こえる。 『邪魔をするな! 今、恐怖の気を練り上げているところだ!』
「なに? 鍵が錆びて開かないじゃと? ……ええい、任せておけ!」
銀之助は(都合よく)聞き間違え、懐から鍵(軽トラのキー)を取り出した。
「わしの愛車なら、どんな扉もこじ開けられる!」 「やめろ銀之助! 狭い廊下でそれを出すな!」
俺の静止も虚しく、銀之助は構えを取った。
「流星号! 緊急発進!」
ドゴォォォォン!!
狭い女子トイレの廊下に、無理やり白い軽トラが出現した。 壁と手洗い場に挟まり、ミシミシと音を立てている。
「ふんぬッ! 救助活動開始!」
銀之助は運転席に乗り込むと、アクセルをベタ踏みした。
「ドアごと開けてやるわい!」
バリバリバリバリ!! ズドォォォォン!!
軽トラが猛然と突進し、3番目の個室のドア……いや、個室そのものを粉砕した。 木っ端微塵になるベニヤ板。砕け散る便器。 そして、霊圧をチャージ中だった花子さんが、瓦礫と共に吹き飛ばされた。
「きゃあああああ!?」
土煙が晴れた後。 そこには、半壊した女子トイレと、バンパーに赤いスカートの切れ端を引っかけた軽トラ。 そして、瓦礫の山で白目を剥いて気絶している花子さんの姿があった。
「ふゥ……。便秘も解消したようじゃな」 銀之助が満足げにハンドルを撫でる。 「物理的に解消しすぎだろ!」 俺は叫んだ。
***
数分後。 意識を取り戻した花子さんは、プルプルと震えながら立ち上がった。 プライドはずたズタ、トイレもズタズタだ。
「……無理だ」
花子さんは俺を見た。その目には涙が浮かんでいた。
「私には……古典的な怪談しか教えられない。この礼儀知らずで、情緒のかけらもない、暴走族のような連中に教えることなど何もない!」
「そ、そんな……! 花子先生が見捨てたら、誰がこいつらを指導するんですか!」
俺がすがりつくと、花子さんは涙を拭い、夜空を見上げた。
「……毒には毒を。カオスにはカオスを」
花子さんは重々しく言った。
「こいつらに『恐怖とエンタメの神髄』を叩き込めるのは、日本でただ一人……『お笑い怪獣(モンスター)』と呼ばれる、あの男しかいない」
「お笑い……怪獣……?」
「そうだ。奴はどんな怪奇現象も『笑い』に変え、逆に幽霊にダメ出しをしてくる化け物だ。奴に完膚なきまでに叩きのめされれば、このバカどもも少しは目が覚めるだろう」
花子さんはそう言い残し、ボロボロの体を引きずって去っていった。 後に残されたのは、半壊したトイレと、キョトンとしている生徒たち。
俺は頭を抱えた。 次はテレビ局へのカチコミか。 俺の教員免許が剥奪される日は、そう遠くない気がした。
(第3話・完)