第1話:着任! 崩壊学級と暴走老人 ~桜舞い散る破壊の音~
四月。 現世では桜が満開を迎え、真新しいスーツに身を包んだ新社会人たちが、希望と不安を胸に街を歩く季節。 春風が吹き抜け、舞い散る花びらがアスファルトを薄桃色に染める――そんな美しい季節だというのに。
ここ、「あの世」と「この世」の狭間にある幽霊教習所の廊下は、どんよりとした重い空気に包まれていた。
「……はぁ。胃が痛い」
俺、田中悟(たなか さとる)は、第4教場の古びた引き戸の前で立ち尽くしていた。 かつては俺自身が「浪人」というあだ名で、理不尽な課題に震えていたこの場所。 数年の修行期間(教官見習い)を経て、俺はついに正規の教官となり、初めて自分のクラスを持つことになったのだ。
本来なら、教師モノのドラマのように希望に燃えるべきシチュエーションだ。 しかし、俺の手元にあるタブレット端末――最新式の出席簿には、上層部から押し付けられた『第108期・特別選抜クラス(通称:掃き溜め)』の名簿が表示されている。
「……行くしかないか」
俺は覚悟を決め、ネクタイを締め直すと、重たい引き戸をガララッと開けた。
「おはよう! 今日から君たちの担任になる田……」
俺の爽やかな第一声は、教室の喧騒にかき消された。
「ねー、ここのWi-Fi、マジでクソなんだけど。5G入んないの? これじゃランクマ(ランクマッチ)回せねーじゃん」 「ちょっと男子ィ! 窓際立たないでよ! 逆光で盛れないじゃん! リングライト持ってないの!?」 「貴様らァ! 教官殿が入室されたぞ! 直立不動! 踵(かかと)を揃えろ! 中隊、気を付けェ!」 「あらやだ、新しい先生? ホンマ頼りない顔してはるわぁ。ほら、飴ちゃんあげるから。黒糖やで、舐めとき」
……学級崩壊だ。開始0秒で終わっていた。
俺は教壇に立つと、パンパン! と出席簿で机を叩いた。
「席につけ! お前ら、自分の置かれた状況が分かってんのか!」
俺の怒号に、生徒たちがダラダラと視線を向ける。
一番前の席でスマホを横持ちにしてゲームをしているのが、デジタル(18歳・男)。 フードを目深に被り、青白い顔で画面をタップし続けている。死因は歩きスマホでの転落死。 「先生、話長いっすよ。要点だけテキストで送ってくれません? タイパ(タイムパフォーマンス)悪いんで」
窓際で自撮り棒を構えているのが、姫(ヒメ)(22歳・女)。 派手なネイルに、死装束を勝手にアレンジしたオフショル着物を着ている。死因は自撮り中の事故。 「はぁ? 今ライブ配信中なんですけど。KY(空気読めない)なんですけどー」
その横で、直立不動の敬礼をしているのが、軍曹(享年不詳・男)。 旧日本軍の軍服を着て、目がバキバキに決まっている。いつの時代から迷い込んだんだ。 「報告します! 本日の士気は極めて低調! 全員に精神注入棒による制裁が必要と思われます! 自分にもお願いします!」
そして、なぜか急須でお茶を淹れ始めているのが、マダム(60代・女)。 ヒョウ柄の割烹着を着た、典型的な大阪のオカンだ。死因は餅を喉に詰まらせて。 「先生も固いこと言わんと。ここ座り。お茶請けの漬物もあるでよ。古漬けやけどな」
俺はこめかみを揉んだ。 スマホ依存、承認欲求モンスター、時代錯誤の軍人、世話焼きオカン。 前回の104期も大概だったが、今回は輪をかけて「話が通じない」連中ばかりだ。
「はぁ……とりあえず出席を取るぞ。……あれ? 一人足りないな」
名簿を見る。5人目の生徒の名前が、まだ呼ばれていない。 猪突 銀之助(ちょとつ ぎんのすけ)。82歳。
「おい、誰か銀之助を知らないか?」
デジタルがゲーム画面から目を離さずに答えた。
「ああ、あのおじいちゃんですか? さっき校門の前で警備員と揉めてましたよ。『わしの軽トラを停める場所がない! シルバー優先スペースを用意せえ!』って杖を振り回してました」
「軽トラ……?」
俺は耳を疑った。 ここは霊界だぞ。物質である車なんて持ち込めるわけがない。 生前の愛車を具現化できるほどの強力な念動力(執着)を持っているというのか?
その時だった。 遠くから、ブォォォォン……という、低く唸るようなエンジン音が聞こえてきた。 その音は急速に近づいてくる。 校庭ではない。 この校舎の壁の向こう……3階の廊下の方からだ。
「おい、まさか……」
バリバリバリ! ドガァァァァァン!!
教室の後ろのコンクリート壁が、爆発したかのように粉砕された。 舞い上がる粉塵。飛び散る瓦礫。 「キャーッ! ホコリでフィルターが曇るぅ!」と叫ぶ姫。 「伏せろォ! 敵の戦車砲だ!」と机の下に滑り込む軍曹。
白煙の中から現れたのは、ボコボコにへこんだ、泥だらけの白い軽トラだった。 しかも、猛スピードでバックして突っ込んできている。
キキーッ! 軽トラは教壇ギリギリで、耳障りなブレーキ音を立てて急停止した。 リアバンパーには、大きく『もみじマーク(高齢運転者標識)』が貼られている。
「な、な、なんだァァァ!?」
俺が腰を抜かしかけていると、運転席のドアがガチョンと開いた。 降りてきたのは、農作業帽を被り、腹巻きをした小柄な爺さんだった。
「ふゥ……まったく、最近の建物は入り口が狭くていかんわい。バックモニターも見づらいのう」
爺さんは悪びれもせず、瓦礫の山を踏み越えて入ってきた。
「き、貴様ーッ!!」
俺は立ち上がって叫んだ。
「何してんだ! そこは入り口じゃなくて壁だ! しかも3階だぞここ! どうやって登ってきた!」
「あァ?」
爺さんは大げさに耳に手を当てた。
「なんじゃ、声が小さいぞ若造。わしは耳が遠くてな」 「都合のいい時だけ遠くなるな! その車はどうした!」
「これか? わしの愛車、『流星号(軽トラ)』じゃ。死ぬ時も一緒じゃったからな、三途の川もこいつでアクセル全開で渡ってきたわい」
爺さん――銀之助は、愛車のボディ(無数の傷跡あり)を愛おしそうにポンと叩いた。 こいつが、今回の追加メンバーか。 死因の欄には『ブレーキとアクセルの踏み間違い』とある。 なるほど、納得だ。コイツは死んでもなお、暴走を続けているのだ。
「いいか爺さん! ここは教室だ! 車は校庭に置いてこい!」 「断る! この辺は車上荒らしが多いからのう。目の届くところに置かんと心配じゃ」 「ここには幽霊しかいねーよ! 誰もそんなボロい軽トラ盗まねえよ!」
爺さんは「フン」と鼻を鳴らし、一番前の席(俺の目の前)にドカッと座った。 そして、やおら懐から湿気た煎餅を取り出し、バリボリと齧り始めた。
「それより若造、授業はどうした? わしは忙しいんじゃ。ゲートボールの大会があるから、早く免許を返してくれ」
その言葉に、デジタルも反応した。 スマホをいじりながら気だるげに言う。
「そうそう、先生。俺もさっさと卒業したいんすけど。通常コースだと2週間で免許取れるってネットで見たんすけど、マジっすか?」
それに姫も乗っかる。 「えー、2週間? それでも長いし! 私、来月のコラボカフェに行かなきゃいけないの! 限定グッズ出るんだから!」 「うむ。短期決戦こそ我が軍の得意とするところ。電撃作戦で卒業しましょう」(軍曹)
生徒たちの「早く出せ」という大合唱。 俺は大きく息を吸い込み、黒板の前に立った。 そして、冷酷な事実を告げるために、チョークを握りしめた。
「……残念だが、お前らは『通常コース』ではない」
俺はタブレットを操作し、カレンダーをモニターに表示した。 そこには4月から来年の3月まで、びっしりと予定が書き込まれていた。 梅雨の合宿、夏の実習、秋の運動会、冬の籠城戦……。
「お前たちが配属された第4教場は、通称『特進クラス』……またの名を『長期更生プログラム』だ」
「はぁ? 長期?」 「そうだ。期間は丸1年。来年の桜が咲く季節まで、お前らはここから出られない」
教室中が凍りついた。 銀之助の煎餅を噛む音が止まる。
「な、なんでだよ! タイパ悪すぎだろ!」 「ふざけんじゃないわよ! 1年もあったら流行変わっちゃうじゃん! 私のフォロワー減ったら責任取れんの!?」
「うるさい!」
俺は教卓をドン! と叩いた。
「いいか、普通の霊なら2週間で成仏できる。だが、お前らは違う! お前らの抱える『未練』は強すぎるんだ! スマホへの依存、承認欲求、過去への執着、お節介……。そんな状態で世に放てば、悪霊化して人間に害をなすのは目に見えている!」
俺は銀之助の軽トラを指差した。
「特に爺さん! お前みたいなのが2週間で卒業してみろ! あの世の高速道路が逆走車で溢れかえるわ! ただでさえ霊柩車が多いのによ!」
「あー、聞こえんのう。補聴器の電池が切れたわい」 「とぼけるな!」
俺は全員を見渡した。
「というわけでだ。お前たちには春夏秋冬、みっちりと『心霊の基礎』と『情操教育』を叩き込む。逃げ出そうとすれば即・地獄行き。覚悟しろ」
俺の宣告に、生徒たちは絶望の悲鳴を上げた。 かつて俺も、104期生として同じ絶望を味わった。 だが、今の俺は教える側だ。彼らを導かなければならない。
「安心しろ。俺が責任を持って、立派な幽霊に育て上げてやる。……俺の胃が持てばの話だがな」
背後の壁には、軽トラが開けた巨大な風穴。 そこから吹き込む春の嵐が、俺のジャージと、舞い散る桜の花びらを巻き上げている。 美しい光景だ。 これからの1年が、地獄のような日々になることさえ知らなければ。
こうして、俺の教官としてのキャリアは、瓦礫の山と修理代の請求書、そして制御不能な生徒たちと共に、華々しくも絶望的なスタートを切ったのだった。
(第1話・完)