第2話:ポルターガイスト入門 ~コップ一つ動かせない私たち~
幽霊教習所での生活は、俺の予想を遥かに超えてストイックだった。
まず、起床は夕方の18時。日没と共に叩き起こされる。 朝食(というか夕食)のメニューは、どんぶり飯一杯分の『高級線香の煙』だ。
「うめえ! この線香、白檀(びゃくだん)の香りがしみるぜ!」 「……味気ない。私は生前、三ツ星レストランの煙しか吸わなかったのだが」
特攻服のヤンキー・ブッコミが煙をバフバフ吸い込み、エリート眼鏡が不満げに鼻をつまむ。 俺たちは合宿所『黄泉(よみ)の宿』の食堂で、透けた体を並べていた。
「早く食え。授業が始まるぞ」
俺はため息交じりに煙を吸い込んだ。腹は膨れないが、霊力(MP)が回復する感覚はある。 こうして、俺たちの地獄の……いや、幽霊の夜が始まった。
***
1限目、実技訓練室。 ごく一般的なリビングルームを模したセットの中で、教官がちゃぶ台を指差した。 その上には、何の変哲もない湯飲みが置かれている。
「いいか、ポルターガイスト現象とは、物理法則への反逆ではない。精神エネルギーによる『干渉』だ」
教官が冷たい声で説明する。
「課題はシンプルだ。念動力を使って、この湯飲みを『5センチ右に移動』させること。決して割るなよ? 備品を壊したら始末書もんだからな」
教官が睨みを利かせる中、俺たち「地縛予備軍」のメンバーは、顔を見合わせた。 トップバッターとして前に出たのは、自信満々のエリートだ。
「フッ、単純なベクトル計算ですね。質量mの物体に対し、摩擦係数を考慮した霊力Fを加えれば……」
彼はブツブツと数式を呟きながら、スッと眼鏡(霊体)を押し上げた。 すると、湯飲みが音もなくスーッと横に滑り、ピッタリ5センチで停止した。
「ほほう。完璧なコントロールだ」 「当然です。最短距離こそ正義ですから」
エリートがドヤ顔で振り返る。 しかし、教官はあくびを噛み殺しながらタブレットを操作した。
「……で? それを見て誰が怖がるんだ? ただの『自動湯飲み運び機』じゃないか。面白みゼロ。評価B(プラスマイナス0)」 「なッ……!?」
エリートが絶句して固まる。 続いて、特攻服のブッコミが前に出た。
「けッ、ちまちま動かしてんじゃねーよ! 気合だろ気合! オラァッ!!」
ブッコミが凄まじい形相で湯飲みを睨みつけ、拳を振り上げた。 瞬間、バキャァッ! という破裂音。 湯飲みは移動するどころか、その場で粉々に砕け散った。
「あ」 「……破壊活動、および備品損壊。STPマイナス5点」 「ち、ちげーし! 今の湯飲みが脆かっただけだし!」 「言い訳すんな! 次、教祖!」
金ピカ法衣のヒゲ親父が、ふんぞり返ってちゃぶ台の前に立った。 彼は動こうとせず、ただ腕を組んで湯飲みを見下ろしている。 ……1分経過。 ……3分経過。 動かない。湯飲みも、教祖も。
「おい、いつまで待たせるんだ」 「静まれ。今、信者たちの祈りをチャージしている」 「ここにお前の信者はいねえよ」 「むぅ……ならば仕方ない」
教祖はおもむろに口を開いた。
「湯飲みよ! 右に動きなさい! さすれば救われん!」 「…………」
当然、湯飲みはピクリともしない。 教祖は髭をさすりながら、俺たちの方を振り向いた。
「見ろ。この湯飲みは信心が足りん。地獄に落ちるぞ」 「お前がな! 物理干渉しろよ!」
俺のツッコミも虚しく、教祖は「やれやれ、近頃の陶器は無神論者で困る」と肩をすくめて戻ってきた。ダメだこのオッサン。
「ひぃぃ、次は私の番ですか……!」
続いて出てきたのは、万年係長のぬらり先輩だ。 彼はちゃぶ台の前に正座するなり、ガタガタと震え始めた。
「す、すみません……私なんかが湯飲み様に触れようとして……おこがましいですよね……」
彼のネガティブな波動が共鳴したのか、ちゃぶ台そのものがガタガタガタガタと激しく振動し始めた。まるで震度5の地震だ。
「ちょ、揺れすぎ! 湯飲みがタップダンスしてる!」 「ひいいい! 止まらないぃぃ! 申し訳ありませんんん!」
ガシャーン! 振動に耐えきれず、湯飲みが床に落ちて割れた。
「……騒音公害、および備品損壊。マイナス5点」 「うえええん! 死にたい!(もう死んでるけど)」
カオスだ。まともに課題をこなせる奴が一人もいない。 教官がこめかみをピキピキさせながら、次の名前を呼ぶ。
「次、みーちゃん」 「はーい♡」
クマのぬいぐるみを抱いた幼女が、トテトテと歩み出る。 彼女は湯飲みの前で立ち止まると、困ったような顔で小首を傾げた。
「せんせぇ……」 「なんだ」 「みーちゃんね、かよわいから……こんな重いの動かせないの……」
彼女は上目遣いで、潤んだ瞳を教官に向けた。
「だからぁ……せんせぇが動かして? お・ね・が・い♡」 「ぐっ……!」
教官が胸を押さえて後ずさった。 その顔が微かに赤くなっている。ちょ、教官!?
「か、かわいい……じゃなくて! 試験だと言ってるだろう!」 「ちっ、使えねーなジジイ」 「今ドスの利いた声が聞こえたぞ!?」
みーちゃんは「ふん」と鼻を鳴らすと、隠し持っていたビー玉を指で弾き、湯飲みをカチンと当てて強引に動かした。 物理(直撃)じゃねーか!
「さあ、最後は貴様だ、浪人」
ついに俺の番が回ってきた。 俺は恐る恐る、新しい湯飲みが置かれたちゃぶ台の前に立つ。 やばい。俺、特別な才能とか何もないぞ。 とりあえず念じてみるか。
(動け……動け……!)
俺は眉間にしわを寄せ、右手をかざした。 だが、俺の平凡な念動力では、湯飲みはウンともスンとも言わない。
「おいおい、日が暮れるぜェ?」 「早くしたまえ。君の無駄な時間のせいで、私の読書時間が削られている」 「祈れ! 祈れば動く!」
後ろから外野がうるさい。 焦る俺。その時だった。
「うるせえ! ちょっと黙ってろ!」
俺が思わず後ろを振り向き、手を振った瞬間。 俺の掌からすっぽ抜けた「焦り」と「苛立ち」のエネルギーの塊が、あさっての方向に飛んでいった。
ドンッ!
そのエネルギー弾は、壁に飾ってあった「古時計」に直撃した。 ボーン……ボーン…… 古時計が不気味な音を立てて揺れ始め、次の瞬間、固定具が外れて落下――
ドゴォォォン!!
ちゃぶ台の上に、古時計が直撃した。 湯飲みは粉微塵。ちゃぶ台は真っ二つ。
シーン……と静まり返る教室。
「あー……」
俺は冷や汗を流しながら教官を見た。 教官は口をあんぐりと開けて、無惨なちゃぶ台と古時計を見つめている。
「……判定」
教官が震える手でタブレットを操作した。
「湯飲みは動いていない。しかし、『まさかそこから時計が落ちてくるとは思わなかった』という意外性……そして、『いつ落ちるかわからない恐怖』を演出した点……」
教官は俺を見て、ニヤリと笑った。
「A評価(プラス10点)。ただし、備品損壊の請求書は後で地獄の実家に送っておく」 「えええええええ!?」 「古時計、アンティーク物だから高いぞぉ」
こうして、俺の幽霊デビュー戦は、わずかなポイントと、莫大な借金と共に幕を開けたのだった。
(第2話・完)