スピンオフ:桜庭陽菜の深夜のツッコミ道場 〜正体隠して伝説へ〜
【第1話】 覚醒、ボタニカル将軍
1.放課後の花壇と、裏腹な内心
放課後の校舎裏に、穏やかな西日が差し込んでいる。 ボタニカル・デザイン部が管理する花壇は、春の花々が咲き乱れ、甘い香りを漂わせていた。
「よし、お水たっぷり飲んでねー」
桜庭陽菜(さくらば・ひな)は、ジョウロを傾けながら、パンジーやビオラたちに優しく語りかけた。 ふんわりとした茶色のボブヘアが風に揺れ、その表情は聖母のように慈愛に満ちている。 クラスメイトや先生たちからは「癒やし系」「おっとりしていて、虫も殺さないような子」という評価を受けている陽菜。 実際、彼女は花を愛し、平和を愛するごく普通の女子中学生だ。
――ただし、その「内面」を除いては。
(……あ?)
陽菜の視界の端に、葉の裏でモゾモゾと動く黒い影が入った。 毛虫だ。しかも、毒々しい色の毛が生えた、なかなかの大物だ。 その瞬間、陽菜の脳内で、とあるスイッチがカチリと切り替わった。
(うわっ、出よった! 害虫界の不法侵入者! 誰の許可取ってそこで食うてんねん! チケット持っとんかワレェ!)
彼女の心の中には、なぜかコテコテの関西弁を話す、気性の荒い「オカン」が住んでいる。 お笑い好きの母の影響か、あるいは深夜に見ているバラエティ番組のせいか。感情が高ぶると、脳内言語が自動的に関西弁に変換され、鋭いツッコミを入れてしまうのが陽菜の秘密の癖だった。
(あかん、このままじゃ葉っぱが食い荒らされてまう。……強制退去や!)
陽菜は、内心で舌打ちをしつつ、顔には「困ったなぁ」という困り眉の笑顔を貼り付けた。 そして、落ちていた小枝を箸のように使い、毛虫を器用に摘み上げる。 「ごめんねー、あっちの草むらにお引越ししようねー」 (二度とツラ見せんなよ! 達者でな!) ポイッ。 優雅な手つきで、毛虫を遠くの茂みへとリリースした。
カシャッ。
その時、背後で乾いたシャッター音がした。 陽菜がビクッとして振り返ると、そこには一眼レフカメラを構えた幼なじみ、蒼井悠真(あおい・ゆうま)が立っていた。
「あ、悠真くん……」 「ごめん、驚かせちゃった?」 悠真はカメラを下ろし、人懐っこい笑顔を見せた。 「ううん、大丈夫。……今の、見てた?」 陽菜は冷や汗をかいた。まさか、心の声(関西弁の罵倒)が顔に出ていなかっただろうか。 「うん。見てたよ」 悠真はモニターを確認しながら頷いた。 「陽菜って、すごいなと思って」 「え?」 「普通の女子なら、あんな大きな毛虫見たら悲鳴上げて逃げるよ。でも陽菜は、嫌な顔ひとつせずに、優しく逃してあげてたから」 悠真は、ファインダー越しに見た陽菜の姿を思い出し、少し照れくさそうに言った。 「……花だけじゃなくて、虫にも優しいんだなって。なんか、陽菜らしいないって思った」
(……ち、違うねん悠真くん! あれは「優しさ」ちゃう、「排除」や! 衛生管理や!)
陽菜は心の中で必死に訂正したが、口に出せるはずもない。 悠真の瞳は、どこまでも澄んでいて、陽菜を「優しい女の子」として疑いなく映している。 その純粋な信頼が嬉しくもあり、同時に、本当の自分を隠している罪悪感でチクリと胸が痛む。
「あ、ありがとう……。悠真くんは、部活?」 「うん。今日は『放課後の光』ってテーマで撮ってて。……いい写真が撮れたよ」 そう言って微笑む悠真を見て、陽菜の心臓がトクンと跳ねた。 夕日に照らされた悠真の横顔は、悔しいくらいに絵になる。 彼は決して、学校で一番モテるタイプではない。目立つ方でもないし、少し天然なところもある。 でも、陽菜にとっては、誰よりも特別で、一番かっこいい男の子だ。
(あかん……そんな顔で見られたら、調子狂うわ……)
陽菜は顔が赤くなるのを隠すように、慌ててジョウロを持ち直した。 「そ、そっか! じゃあ私、片付けして帰るね!」 「うん。また明日」
悠真に手を振り、陽菜は逃げるようにその場を離れた。 背中に感じる彼の視線が、くすぐったくて、温かくて。 この「清楚でおっとりした幼なじみ」という皮を被り続けるためにも、溜まった「ツッコミ衝動」は、どこか別の場所で発散しなければならない。
そう、今夜こそ。
2.深夜のオカルト・ショー
夜十一時。 家族が寝静まった桜庭家の一室。 お風呂上がりの陽菜は、部屋の鍵をかけ、ヘッドホンを装着し、ベッドの上に正座していた。 目の前にはタブレット端末。 画面には、怪しげなフォントで『オカルトウォーカー』のロゴが表示されている。
「……来た。配信開始や」
陽菜の瞳が、獲物を狙う猛禽類のように鋭く光る。 昼間の穏やかな表情はどこへやら。今の彼女は、ストレス社会を生き抜くため、笑いとツッコミを渇望する一人の戦士だった。
画面が切り替わり、薄暗い廃墟のような場所が映し出される。 『はいどーもー! 真実の探求者、オカルトウォーカーの島村周平です!』 画面に現れたのは、黒いジャケットにサングラス、そして無駄に良い声を持つ男、島村周平だ。 陽菜のお気に入りのチャンネルである。ただし、「怖いから」ではない。「ツッコミどころが満載だから」だ。
『今日はですね、視聴者さんから寄せられた「謎の光が目撃される河川敷」に来ております! なんでもここ、UFOの給水ポイントになっているという噂がありまして……』
「給水ポイントて! マラソン大会か! そもそもUFO水で動くんか!?」 開始早々、陽菜の口から鋭いツッコミが漏れる。 もちろん、声量は抑えめで。隣の部屋には受験生の兄はいない(東京だ)が、両親が起きる可能性がある。
島村は、手ブレのひどいカメラを持って、真っ暗な河川敷を歩き回る。 『おっ……!? 今、空が光りませんでしたか!?』 カメラが夜空を映す。確かに、遠くでピカッと光ったように見える。 『これは……UFOからのコンタクトかもしれません! 彼らは僕に、何かを伝えようとしている!』
「雷や!! どう見ても遠くの雷やろがい!! 天気予報見んかい!」 陽菜は膝を叩いて悶絶する。 コメント欄には『うおおお!』『すげえ!』『未知との遭遇!』といった、純粋すぎる(あるいは面白がっている)コメントが流れていく。 違う。そうじゃない。 このままでは、島村のポンコツ推理が「真実」としてまかり通ってしまう。 それは、陽菜の「笑いの美学」が許さなかった。
動画は進む。島村が川の水をペットボトルに汲み始めた。 『この水には、宇宙人のエネルギーが溶け込んでいる可能性があります。これを持ち帰って分析すれば、人類の科学は数百年進歩するかもしれない……!』 「泥水や! お腹壊すだけやがな!」
さらに、草むらがガサガサと揺れる。 『出たッ! グレイ(宇宙人)か!? それともチュパカブラか!?』 カメラがズームする。そこには、驚いた顔の野良猫が映っていた。 『……なんだ、猫か。……いや待てよ。この猫、目が光っている……。まさか、宇宙人が猫に擬態して僕を監視しているのか!?』
ブチッ。 陽菜の中で、何かが切れる音がした。
「ええ加減にせぇよ……!」 陽菜は震える手で、スマホを手に取った。 普段使っているアカウントではない。 この番組にツッコミを入れるためだけに作成した、裏アカウント。 ハンドルネームは――『ボタニカル将軍』。 (部活の名前と、なんとなく強そうな言葉を組み合わせただけだ)
陽菜の指が、スマホの画面上で残像が見えるほどの速度でフリック入力を開始した。 溜まりに溜まったストレスと、島村への愛ある叱咤激励を込めて。
3.将軍、戦場へ立つ
配信画面のチャット欄に、一つの長文コメントが投下された。
ボタニカル将軍: 『宇宙人の仕業なわけあるか! その光は北関東特有の雷や! あと猫は夜行性やから目は光るんじゃ! 物理と生物の教科書読んで出直してこい! ほんでUFOが水汲むんやったら、ちゃんと河川事務所に許可取って車庫証明出してみぃ!』
一瞬、コメント欄の流れが止まった。 そして次の瞬間。
『wwwwwww』 『正論すぎるwww』 『車庫証明で草』 『将軍きたこれ』
爆笑の渦が巻き起こった。 配信中の島村も、タブレットでコメントを確認し、目を丸くした。 『えー……「ボタニカル将軍」さんから、非常に……えー、辛辣かつ的確なご意見をいただきました』 島村が苦笑いしながら読み上げる。 『車庫証明……確かに、UFOも路駐はダメですからね……ハハッ』
画面の向こうの島村がタジタジになっているのを見て、陽菜はベッドの上でガッツポーズをした。 「よっしゃあ! これで成仏できるわ!」 胸のつかえが取れ、スッキリとした爽快感が体を駆け巡る。 これだ。この瞬間こそが、日々の「清楚キャラ」維持の疲れを癒やしてくれるのだ。
その後も、島村がボケるたびに、陽菜(ボタニカル将軍)は間髪入れずにツッコミを投稿し続けた。 『そこは右じゃなくて左や! 地図見ろ!』 『心霊写真ちゃうわ、レンズの汚れや! 拭け!』 その言葉選びのセンスと、テンポの良さに、視聴者たちは島村そっちのけで将軍のコメントを待ち望むようになっていった。
『……というわけで、本日の調査は終了です! 宇宙人の尻尾は掴めませんでしたが……ボタニカル将軍という、新たな未知の生物を発見しましたね!』 島村が上手いことを言って配信を締める。 陽菜は満足げに「ふぅ……」と息を吐き、ヘッドホンを外した。
「今日もええ仕事したわ……」 心地よい疲労感。 時計を見ると、深夜一時を回っている。 「やば、明日も学校や。寝なきゃ」 陽菜はタブレットを閉じ、布団に潜り込んだ。
彼女は知らなかった。 この夜の配信が、オカルト界隈で「神回」として切り抜かれ、拡散され始めていることを。 そして、「ボタニカル将軍」の正体が、地方都市の平凡な(ように見える)女子中学生であることなど、誰も想像すらしていないことを。
翌朝。 スズメの鳴き声と共に目を覚ました陽菜は、いつものように髪を整え、制服に着替え、「おっとりした桜庭陽菜」の仮面を装着した。 「行ってきまーす」 何も知らない陽菜は、軽い足取りで学校へと向かう。 そこで待ち受ける、クラスメイトたちの「話題」と、悠真の「天然な反応」に冷や汗をかくことになるとは知らずに。
(第2話へつづく)