YMO世代の気持ち

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【第1話】 突然の帰郷と、終わらない愚痴

スピンオフ:スマイルマートの夜想曲 〜渡る世間に福来たる〜

【第1話】 突然の帰郷と、終わらない愚痴

1.嵐の前の静けさ

(独白:石川泰介)

 コンビニエンスストアというのは、現代における「茶屋」のようなものだと思っている。  老いも若きも、男も女も、誰もが通り過ぎ、少しだけ荷物を下ろし、喉を潤しては、またそれぞれの戦場へと去っていく。  私はその番人として、ただ静かに、この街の人々の往来を見守っていられればそれでいいと願っていた。

 私は石川泰介(いしかわ・たいすけ)、四十二歳。独身。  この「スマイルマート緑ヶ丘店」のオーナー店長である。  亡き両親が残してくれたこの土地を、コンビニへと建て替えて十年余り。世間から見れば、嫁も貰わず、昼夜逆転の生活を送る冴えない中年男に見えるかもしれない。だが、私自身はこの生活を気に入っていた。  誰に気兼ねすることもなく、自分のペースで働き、自分のペースで眠る。  面倒な親戚付き合いも、法事の時くらいのものだ。  そう、私は「孤独」を愛していたのだ。いや、愛していると思い込んでいたのかもしれない。

 季節は冬。  底冷えのする二月の深夜、その平穏は、自動ドアの開く音と共に、脆くも崩れ去ることになったのである。

 ウィーン。  軽快な入店チャイムの音とは裏腹に、入ってきたのは冷たい北風と、不機嫌を絵に描いたような女だった。  派手なファーのついたコートに、厚化粧。両手には、家出少女のごとくパンパンに膨らんだボストンバッグを提げている。

「いらっしゃいませ」  私が条件反射で声をかけると、女は入り口で立ち止まり、店内をぐるりと見渡してから、レジの中にいる私を睨みつけた。 「……へぇ。まだ潰れてなかったんだ」  その声を聞いた瞬間、私の背筋に嫌な汗が流れた。  忘れるはずもない。十年前に、「こんな何もない田舎の店なんて真っ平よ! 私は東京で幸せになるんだから!」と捨て台詞を吐いて出て行った、三つ下の妹。  小宮山(旧姓・石川)良子(よしこ)である。

「……良子、か?」 「そうよ。実の兄に向かって『いらっしゃいませ』はないでしょ」  良子はドサリとバッグを床に置くと、大きなため息をついた。 「お兄ちゃん、相変わらず冴えない顔してるわね。……あーあ、最悪。おでんの匂いが服に染み付くじゃない」

 やれやれ。  どうやら、私の静かな夜想曲ノクターン)は、ここで強制終了のようだ。  代わりに始まったのは、終わりの見えない「身内の愚痴」という名の、騒々しい狂詩曲(ラプソディ)だった。

2.バックヤードの修羅場

 私はアルバイトの学生にレジを任せ、良子をバックヤードの事務室へと招き入れた。  事務室といっても、在庫のダンボールとパソコンデスク、それに小さなパイプ椅子があるだけの狭い空間だ。 「座るところもないじゃない。これだからコンビニ稼業は嫌なのよ」  良子は文句を言いながら、パイプ椅子にドカッと腰を下ろした。  私はポットのお湯でインスタントコーヒーを作り、彼女の前に置いた。 「……で、どうしたんだ。藪から棒に」  私が尋ねると、良子はコーヒーには手を付けず、堰を切ったように話し始めた。

「どうしたもこうしたもないわよ! 家出してきたの!」 「家出って……お前、旦那はどうしたんだ。子供は」 「子供はいないわよ、知ってるでしょ。あの人(夫)なら、今頃どこかの若い女とよろしくやってるんじゃない?」  良子は鼻で笑った。その目には、隠しきれない疲労と、燃えるような怒りが宿っている。

「聞いてよお兄ちゃん! 私がこの十年間、どれだけあの家に尽くしてきたと思ってるの? 向こうのお義母さんの介護だって、私が一人でやったのよ? 下の世話から食事の支度まで、文句ひとつ言わずにね! なのにあの人ったら、お義母さんが亡くなった途端に、『君とは性格が合わない』だなんて、どの口が言うのよ!」

 そこからは、まさに独壇場だった。  夫の浮気、夫の借金の発覚、親戚の冷遇、東京の物価の高さ、近所付き合いの煩わしさ。  彼女の口から飛び出す言葉は、マシンガンのように途切れることなく、狭い事務室に反響した。  私はただ、腕組みをして頷くしかなかった。  下手に口を挟めば、「お兄ちゃんにはわからないわよ!」と火に油を注ぐことになるのは、子供の頃からの経験則で知っている。

「……それでね、私が問い詰めたら、あの人なんて言ったと思う? 『君の料理は味が濃すぎる』ですって! 信じられる!? 私は健康のために減塩醤油を使ってたのよ! それを知りもしないで!」  話の内容は深刻だが、その語り口はどこか芝居がかっていて、自分がいかに不幸なヒロインであるかをアピールすることに酔っているようにも見えた。  これが、橋田壽賀子ドラマなら、ここでCMが入るところだろう。だが現実はノンストップだ。

「……わかった、わかったから」  私は三十分ほど経過したところで、ようやく口を挟んだ。 「要するに、旦那と喧嘩をして、家を飛び出してきたんだな。……これからどうするつもりだ」  良子はフン、と鼻を鳴らして、冷めたコーヒーを啜った。 「どうするもこうするも、行く当てなんてないわよ。手持ちのお金だって、新幹線のチケット買ったらほとんど残ってないし」  そして、上目遣いで私を見た。 「……ここに置いてもらうしかないじゃない」

「ここに?」 「そうよ。二階、空いてるでしょ? お父さんとお母さんが使ってた部屋」  確かに、店舗の二階は住居スペースになっている。私の部屋以外に二部屋あり、今は物置同然になっているが、寝起きすることは可能だ。 「しばらくの間よ。頭を冷やす期間が必要なの。……まさか、実の妹をこの寒空の下に放り出すような、鬼のような真似はしないわよね?」

 これだ。  この「情」と「筋」に訴えかけてくるやり方。  私は深いため息をついた。  断る理由はいくらでもある。ここは私の城だ。私の聖域だ。  だが、亡き母が常々言っていた言葉が脳裏をよぎる。  『泰介、お前はお兄ちゃんなんだから。良子のことは、何があっても守ってやっておくれ』

「……好きにしろ」  私が短く答えると、良子はニヤリと口角を上げた。 「ありがとうお兄ちゃん。やっぱり持つべきものは、独身で小金持ちの兄ね」 「一言多いんだよ」

 こうして、私の静寂なコンビニ生活に、とんでもないノイズが混入することになったのである。

3.中学生たちの困惑

 翌朝。  私は一睡もできずに朝を迎えた。二階から聞こえる良子の足音や、電話で誰かに怒鳴り散らしている声が気になって、眠れるはずもなかった。  重い頭を抱えてレジに立っていると、いつもの中学生たちがやってきた。  水泳部の浜田健太くんと、写真部の蒼井悠真くんだ。

「おっはよーございまーす! 石川さん、眠そうっすね?」  健太くんが元気よく入ってくる。 「ああ、おはよう……。ちょっとね」 「いつもの肉まんで!」 「僕はあんまんで」  彼らの無邪気な顔を見ると、少しだけ心が晴れる。彼らはこの店の「光」だ。

 しかし、その光景に影が差した。  店の外、入り口の横にある喫煙スペースに、派手なガウンを羽織った女が、けだるそうに煙草をふかしていたのだ。  良子である。  すっぴんに近い顔だが、眉間のシワの深さはメイク以上だ。

「……あれ? 誰だあの人」  健太くんがガラス越しに指差す。 「なんか、怖くね?」  悠真くんも怪訝な顔をしている。 「……ああ、気にするな。ちょっとした、身内だ」  私は曖昧に答えるしかなかった。 「身内? 石川さんの奥さん?」 「まさか。……妹だよ」 「へぇー! 石川さん、妹いたんすか! 全然似てないっすね!」

 その時、良子がガラス越しにこちらを睨んだ。  中学生たちがビクッとする。  良子は吸い殻を消すと、乱暴に自動ドアを開けて入ってきた。 「お兄ちゃん、シャンプーないんだけど。一番高いやつ、持ってっていい?」 「……売り物だぞ」 「いいじゃない、家族割引きかせなさいよ。あと、朝ごはんにサンドイッチ貰うわね」  良子は棚から商品を鷲掴みにすると、会計もせずに奥の事務室(その奥に二階への階段がある)へと消えていった。

 ポカンとする中学生たち。 「……石川さん、なんか大変そうっすね」  健太くんが同情の眼差しを向けてくる。  悠真くんも、何かを察したように気まずそうにしている。  子供たちに気を遣わせるとは、大人として情けない限りだ。

「悪いな、騒がしくて。……さ、学校遅れるぞ」  私は精一杯の笑顔を作って、彼らを送り出した。

 自動ドアが閉まる。  店内に残ったのは、良子が撒き散らしていったタバコの残り香と、高価なシャンプーの在庫が減ったという事実だけだった。  私はレジカウンターに肘をつき、天を仰いだ。

 これが、「渡る世間」というやつなのだろうか。  だとしたら、鬼ばかりではないか。  福など、本当に来るのだろうか。

 私の憂鬱な一日は、まだ始まったばかりだった。

(第2話へつづく)