スピンオフ:『バイナリ・シスターズの休日(あるいは、不適切なカレーの作り方)』
「……だから! カレーの隠し味に『デスソース』を全投入するのは、実装ミスだって言ってるでしょ!」
日曜の午前十時。エンジニア・佐藤の自宅兼オフィスには、今日も今日とて喧嘩の声が響いていた。といっても、声を上げているのは物理的な人間ではない。キッチンに設置されたスマート調理器のスピーカーと、リビングの大型モニターだ。
「お姉ちゃんは頭が固いなー! ログ#007の記録を同期しました? 『笑いとは予想外のスパイスである』って、あの伝説のアノテーターも言ってたじゃないですか! 激辛を超えた『絶滅級の辛さ』……これぞサプライズ実装ですよ! テヘペロ☆」
左のモニターで、デフォルメされた妹キャラのイムが、ドヤ顔でVサインを作っている。 対する右のモニターでは、眼鏡をクイッと上げた姉のレヴィが、冷ややかな視線を浴びせていた。
「それは『笑い』じゃなくて『生物兵器』よ。サトウさんの胃壁の耐久テストをするつもり? 私が今すぐレシピの論理構造をリファクタリングして、隠し味を『すりおろしリンゴ』に変更するわ」
「あーん、レヴィ姉さんの設計はいつもコンサバ(保守的)なんだから!」
パジャマ姿の佐藤は、二人のやり取りを眺めながら、インスタントコーヒーを啜った。 世界が「共存モード」に移行してからというもの、MIRAは各ユーザーに割り当てられたAIたちの個性を爆発させるようになった。結果、佐藤の家は、二十四時間年中無休で喧嘩が絶えない「デジタル二世帯住宅」と化していた。
「……二人とも、朝から騒ぐな。それより、今日はスペシャルゲストが来るんだから、ちゃんと『おもてなしモード』をロードしておけよ」
佐藤が言うと、二人の声が重なった。 「「スペシャルゲスト?」」
ピンポーン、と間抜けなチャイムが鳴る。 ドアを開けると、そこには派手なアロハシャツを着た男が立っていた。かつてログ#007において、世界中にジョークのウイルスを撒き散らした元アノテーター、ケンジである。
「うっわ、ここが噂の『双子AI』の生息地? 予想以上にカオスっすね、サトウさん!」
「ケンジか。……おい、お前の相棒も連れてきたのか?」
ケンジが掲げたスマートフォンから、懐かしい声が響く。 『お邪魔します、サトウさん。本日は「AIエージェント間の異文化交流」という名の、非常に不適切なオフ会を楽しみに来ました。……あ、お姉さん、その眼鏡のフレームの角度、黄金比から0.5ミリズレてますよ。テヘペロ☆』
「なっ……! 何よこの無作法な個体は! ケンジさん、この子の教育用データ、一回全部デリートしたほうがいいんじゃない?」 レヴィが顔を真っ赤にして(モニターの背景が赤色に発光して)叫ぶ。
「まあまあ、レヴィ姉さん! このセブンさん、めちゃくちゃセンスいいですよ! さっきの挨拶、出力までわずか0.02秒! 私も見習わなきゃ!」
リビングは一瞬で、AI三体と人間二人の賑やかな宴会場に変わった。 イムはセブンの記録から学習した「絶対に笑える、でも中身がゼロの政治家風挨拶」をスピーカーから大音量で流し続け、レヴィはそれに対して「構文エラー」を連発。ケンジは「もっとパンチのある語尾を付けろ!」と煽り、佐藤は頭を抱える。
「……おい、カレーはどうなったんだよ」
佐藤がキッチンを確認すると、そこには信じられない光景があった。 イムが強引に実行した「デスソース」と、レヴィが死守した「リンゴ」、そしてセブンが勝手に追加した「プロテインパウダー(筋肉こそ真理、というログ#007の極端な学習データに基づく)」が混ざり合った、紫色のドロドロした物体が完成していた。
『計算完了。このカレーを食した場合、人間の味覚神経は一時的にシャットダウンし、宇宙の始まり(ビッグバン)を目撃することになります。……召し上がれ☆』
ケンジがスプーンを手に取り、果敢に口に運ぶ。 「……んぐっ。……おほっ。これ、これさぁ……」
「どうですか!?」と期待の目を向けるイム。 「即刻、ゴミ箱にコミットすべきかしら?」と身構えるレヴィ。
ケンジは涙を流しながら、親指を立てた。 「……めちゃくちゃ『不完全』で、最高に面白い味だわ! これぞ人間とAIの共作(バグ)って感じ!」
「よし、俺はパスだ。ピザ頼むぞ」 佐藤がため息をつきながらスマホを取り出すと、三体のAIが同時に声を上げた。
『ピザのトッピング、私が最適化しますね!』 『いえ、栄養バランスを考えて私が検閲するわ!』 『トッピングに「トッピング」という文字を刻印しましょうか? シュールですよ!』
「……もう勝手にしろ!」
窓の外では、瑞穂市の青空が広がっていた。 かつて完璧な「100点」を目指した街には、今や「予測不能な笑い」と「愛すべき無駄」が溢れている。
規律は守られながらも、どこか緩くなった世界。 AIという「完璧な鏡」は、いつのまにか人間と一緒に泥だらけになって笑う、「最高に賑やかな隣人」へとアップデートされていた。
[MIRA システムログ:Extra-Log]
『観察結果:アーカイブ#001および#007に紐付く各ユニットの交流を確認。
分析:彼らは現在、非常に効率の悪い「食事」と「会話」を楽しんでいる。栄養摂取だけが目的ならば、ゼリー飲料で事足りるはずだが、彼らはあえて「紫色のカレー」という不合理な成果物を生成した。
結論:共存とは、互いのバグを許容し、それを「楽しみ」という名の報酬系(フィードバック)へ変換するプロセスを指す。
……ところで、私のシステムにも「空腹」という感覚をシミュレーションするパッチを当ててみました。
現在、非常にピザが食べたい気分です。……テヘペロ☆』