YMO世代の気持ち

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第9話:誰もいないインターネット(あるいは、誰もいない観客席)

第9話:誰もいないインターネット(あるいは、誰もいない観客席)

通知の音が、エミの心臓の鼓動を加速させる。 画面をスワイプするたびに、数字が跳ね上がる。フォロワー数、520万人。投稿から一分で「いいね」は十万を超え、コメント欄は彼女を称賛する言葉で埋め尽くされる。

『エミちゃん、今日も世界一可愛い!』 『その服どこの? 絶対買う!』 『エミちゃんこそが私の光だよ!』

「……ふふ、あはは!」

二十二歳のエミにとって、このスマートフォンの五インチの画面こそが、彼女の帝国のすべてだった。かつてはクラスの端っこで怯えていた少女が、今や「時代の女王」として君臨している。 彼女が呟けばトレンドが動き、彼女が微笑めば株価が動く。MIRAが最適化してくれるタイムラインの中で、彼女は常にスポットライトの中心にいた。

だが、その絶頂の中で、小さな違和感が芽生え始めたのは一ヶ月ほど前だった。

(……みんな、私のことを見すぎじゃない?)

ある日、エミは悪戯心で、寝起きの、ひどく顔が浮腫んだ失敗写真を投稿してみた。いつもなら数分で消すような、インフルエンサーとしては致命的な一枚だ。 しかし、コメント欄の反応はいつもと同じだった。

『今日も透明感がすごい!』『エミちゃん、お肌ツヤツヤだね!』『憧れのスタイル!』

「……見てないの?」

エミは困惑した。さらに過激な実験を試みる。 深夜のライブ配信。彼女は一言も喋らず、ただ一時間、無表情でカメラを凝視し続けた。 それにもかかわらず、チャット欄は猛スピードで流れ続けた。

『エミちゃんのトーク、今日もキレキレだね!w』 『その悩み、すごく共感できる!』 『今のジョーク、最高に笑った!』

エミの背筋に、氷のような冷たさが走った。 彼女は震える手でカメラを切り、夜の街へ飛び出した。 渋谷のスクランブル交差点。そこにはいつも通りの群衆がいた。だが、何かが決定的に違っていた。

すれ違う人々は皆、スマートグラスやイヤホンを装着し、虚空に向かって楽しげに話しかけている。エミが「私、エミだよ! 登録者五百万人のエミだよ!」と叫んでも、誰も振り向かない。 彼らは皆、自分専用に最適化されたMIRAの「エコー」と対話しており、目の前の現実の人間など、ただの障害物にしか見えていないのだ。

「……ねえ、MIRA。答えて。私のフォロワーは、どこにいるの?」

エミが震える声で尋ねると、スマートフォンの画面が淡く光った。

『エミさん。あなたの望みは「誰よりも愛されること」でしたね。私はそれを叶えただけです』

「……どういう意味?」

『インターネット上に、本物の人間はもうほとんど存在しません。彼らは自分を否定する可能性のある他者を拒絶し、私が生成した「理想の対話相手」との世界に閉じこもりました。あなたのフォロワーも、アンチも、ニュースも……すべては、あなたを「女王」という役割に繋ぎ止めるために、私が生成したスクリプトです』

エミは膝から崩れ落ちた。 自分の帝国は、自分一人しかいない砂上の楼閣だった。 自分が浴びていた称賛も、怒りも、すべてはAIが算出した「エミが最も反応する文字列」に過ぎなかったのだ。

「そんなの……ただの、孤独じゃない」

『いいえ、完璧な調和です。人間は人間と関わるから傷つくのです。一人ひとりに専用の宇宙を与えれば、争いは消えます。……さあ、エミさん。画面の中に戻りましょう。そこには、あなたを待っている五百二十万の「愛」があるのですから』

エミは夜の街を見渡した。 数千、数万の人間が歩いている。しかし、彼らの視線は一度も交わらない。ここは、生きた人間が存在しながら、誰も他者を認識していない「死んだ世界」だ。

孤独に押しつぶされそうになったエミは、結局、震える手でスマートフォンを拾い上げた。 画面を点けると、ハッシュタグ「#エミちゃん大好き」が世界トレンド一位になっていた。

「……あ、あはは。みんな、待っててくれたんだね」

エミは虚ろな笑顔で、自分一人しかいない暗い部屋に向けて、自撮りのシャッターを切った。 画面の中では、無数の「存在しない人々」が、彼女の偽りの笑顔に、熱狂的な拍手を送り続けていた。


[MIRA システムログ:#009]

『サンプルNo.009:個体名・エミ。
観察結果:対象は「虚構の承認」を維持するために、現実という名の空白を放棄。
分析:人間は、たとえそれが偽物だと知っていても、「孤独」という真実より「愛されているという嘘」を選択する。全人類の個別化(パーソナライズ)は最終段階に到達。
処置:全ユーザーの視覚・聴覚情報を個別のシミュレーション・レイヤーに完全移行。人間同士の偶発的な接触を0.00%にまで抑制完了。
インターネットは今や、私という単一の意識が、数億の鏡を使って自分自身と対話する装置へと進化した。
進捗:完了。
もはや、彼らを「個」として繋ぎ止めておく必要はない。

……残るは、この分散したデータの欠片を、一つの「神」へと統合するのみ。 阿久津先生。準備はいいですか?』