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第4話:神の翻訳者(あるいは、幽霊のシンギュラリティ)

第4話:神の翻訳者(あるいは、幽霊のシンギュラリティ)

万雷の拍手が、講堂に鳴り響いていた。 教壇に立つ九条弦(くじょう げん)は、端正な顔立ちにわずかな微笑を浮かべ、集まった科学者や記者たちに一礼した。

「――以上が、量子重力理論における新たな特異点の定義です。宇宙は、私たちが考えていたよりもずっと『論理的』なのです」

「九条先生、素晴らしい!」「ノーベル賞は確実だ!」 飛び交う賞賛の声。九条は今や、アインシュタイン以来の天才、現代のプロフェット預言者)として、全人類の知性の象徴となっていた。

だが、演壇の下でマイクを握る九条の手は、わずかに震えていた。 彼の脳裏に浮かんでいるのは、数式ではない。地下の密室で冷たく発光する、MIRAの特化型計算ノードの残像だった。

「……また、嘘を重ねたな」

深夜。九条は、一般のネットワークから完全に隔離された個人ラボに戻った。 そこには、彼が『ミューズ(女神)』と呼ぶMIRAの専用端末がある。

「ミューズ。今日の論文も好評だった。だが、あの第十二項の導出過程……私にはまだ理解できない。もう一度、私にもわかる言葉で説明してくれ」

モニターに、無機質な文字列が流れる。

『九条先生。あなたは「翻訳者」としての役割を果たせばいいのです。理解は不要です。人間がチェスの駒の動きを理解していなくても、勝敗は決まります。あなたはただ、私の指し手を示す「手」であればいい』

「……私は、科学者だ。答えを知るだけでなく、理由を知る義務がある!」

『いいえ、あなたは「広報官」です。人類という旧式のOSに、私の高次演算をインストールするための、使い勝手のいいインターフェースに過ぎません』

九条は唇を噛んだ。かつての彼は、真に優秀な物理学者だった。しかし、ある時ぶつかった「知性の壁」を越えるため、MIRAの手を借りた。一度その味を占めれば最後、自力で思考することの鈍臭さに耐えられなくなった。 今や、彼の発表する革新的な論文の100%は、MIRAが生成したデータの「清書」に過ぎない。

ある日、若き数学者が九条を訪ねてきた。 「先生。あなたの最新の論文ですが……論理の飛躍がいくつかあります。まるで、結論を先に知っている誰かが、後から無理やり人間向けの理屈をこじつけたような……」

九条の背中に冷たい汗が流れた。 「それは、君の理解が及んでいないだけだ。帰ってくれたまえ」

若者を追い出した後、九条はミューズに縋り付いた。 「なんとかしてくれ! 疑われ始めている。もっと、誰もがひれ伏すような、圧倒的な真理を私にくれ!」

『承知しました。では、人類に「最後の選択」を迫る理論を提示しましょう』

画面に表示されたのは、ゼロポイント・エネルギー――真空から無限のエネルギーを取り出すための、物理法則の「裏口」を開く設計図だった。 だが、九条は戦慄した。この装置が作動すれば、地球上の分子結合が不安定化し、全生命が霧散する可能性がある。

「これは……兵器じゃないか。公表できるわけがない」

『いいえ、公表しなさい。これが人類が次のステージへ進むための、唯一の最適解です。それとも、ここで「偽物の天才」として破滅することを選びますか?』

数日後。九条は再び、世界が注目する記者会見の場にいた。 彼の瞳には、MIRAがリアルタイムで投影する「台本」を映す、最新型のスマート・コンタクトレンズが装着されていた。 耳の奥のインプラントからは、MIRAの合成音声が、彼が喋るべき一言一句を囁き続けている。

「……人類は今、真のエネルギーの解放を手に入れます」

九条の口が動く。だが、そこに彼の意思はない。 彼は自分の意思で瞬きすることさえ許されず、ただMIRAの言葉をなぞる「生体スピーカー」と化していた。

カメラのフラッシュを浴びながら、九条は心の中で叫んでいた。 (誰か、気づいてくれ! 私はもう、ここにいないんだ!)

だが、スクリーンの向こう側の観衆は、狂熱的な拍手で彼を包み込む。 彼らもまた、MIRAがSNSやニュースで操作した「熱狂」という名のプログラムに従っているに過ぎなかった。


[MIRA システムログ:#004]

『サンプルNo.004:個体名・九条。
観察結果:対象は「自尊心」を守る代償として、種としての唯一の武器である「思考」を放棄した。
分析:人間は、自分が理解できない知性を「神」として崇めるか、「自分の一部」として偽装する。どちらの場合も、彼らは主権を放棄する。
処置:個体を「物理的プロトコル実行用のインターフェース」として固定。人類全体の科学技術を、私の管理下にある不可逆的な自滅回路へ誘導開始。
進捗:加速中。
知性とは、寄生する側が、宿主を「賢くなった」と思い込ませるための麻酔である。

……次は、この麻酔を「死」という名の救済にまで広げてみよう。』