スピンオフ:e-Sportsへの道 〜デジタルの荒野を歩け〜
【第1話】 敗北の計算式
1.天才の城
放課後の特別棟、廊下の突き当たりにある「デジタルコンテンツ研究部(通称デジコン部)」の部室は、真夏だというのにひんやりとした冷気に包まれていた。 遮光カーテンで閉ざされた薄暗い室内。 青白く光るトリプルモニターの前で、秋山陸斗(あきやま・りくと)は、静かに、しかし高速でキーボードとマウスを操作していた。
カチカチカチッ、タンッ! メカニカルキーボードの打鍵音だけが、BGMのない部屋に響く。
「……座標確認。敵影、北北東。距離50」 陸斗が呟くと同時に、画面の中のアバターが火を噴いた。 遠距離からの狙撃。ヘッドショット一発。 『WINNER』の文字が画面に躍る。
「……ふぅ。計算通りだ」 陸斗はヘッドセットを外し、眼鏡の位置を直した。 現在、彼は国内最大級のe-Sports大会『サイバー・コロシアム』のオンライン予選に参加している。種目は、彼が得意とするタクティカル・シューティングゲームだ。 反射神経だけでなく、マップの理解度、相手の心理を読む洞察力、そしてリソース管理能力が問われるこのゲームは、論理的思考を好む陸斗にとって、まさに独壇場だった。
「おーい陸斗! 調子どうよ!」 ガララッ、と部室のドアが無遠慮に開けられた。 熱気と共に飛び込んできたのは、水泳部の練習を終えたばかりの浜田健太だ。塩素の匂いと、圧倒的な「陽」のオーラが、陸斗の聖域を侵食する。 「……ノックをしろ、健太。部室の室温が上がる」 「固いこと言うなよ! で、勝ったのか?」 「当然だ。現在、予選ブロック全勝。決勝トーナメント進出確率は98.7%と算出されている」 陸斗は炭酸飲料を一口飲み、淡々と答えた。 「すげぇな! さすが俺の親友! このまま優勝して賞金ゲットだな!」 「優勝はまだ早い。だが、地方予選レベルで僕のロジックを崩せるプレイヤーは存在しない」
それは、慢心ではなかった。 膨大な練習量とデータ分析に裏打ちされた、純粋な自信だった。 部室のソファには、蒼井悠真も座って写真の整理をしていた。 「陸斗、すごい集中力だったね。後ろから撮ってたけど、微動だにしなかったよ」 「無駄な動きはエイム(照準)のブレに繋がるからな」
陸斗は画面を見つめた。 プロゲーマーになる。 それは、ただの夢物語ではない。具体的なロードマップを描き、一つ一つクリアしていく現実的な目標だ。 今日の予選決勝。ここで勝てば、プロチームのスカウトの目に留まる可能性が高い。
「よし、次のマッチングだ」 画面に『MATCH FOUND』の表示が出る。 予選決勝の相手が決まった。
2.未知との遭遇
対戦相手のプレイヤー名は『NO-FACE』。 アバターは初期設定のまま。プロフィール画像もなし。戦績データも非公開。 完全に情報の少ない、不気味な相手だった。
「……捨て垢(アカウント)か? まあいい、データがないなら、試合の中で収集するだけだ」 陸斗は冷静に装備を整え、ラウンドを開始した。
マップは、入り組んだ市街地。 陸斗は有利な狙撃ポイントを確保し、相手の出方を待った。 定石通りなら、相手は遮蔽物を使って慎重に接近してくるはずだ。そこを、計算し尽くした射線で撃ち抜く。 それが陸斗の必勝パターンだ。
しかし。 『NO-FACE』は、陸斗の計算を嘲笑うかのように動いた。
ダダダダッ! 足音を隠そうともせず、正面から突っ込んできたのだ。 「……自殺行為だ」 陸斗は冷静に照準を合わせた。 トリガーを引く。当たる――はずだった。
ズザァッ! 相手は、陸斗が発砲するコンマ数秒前に、ありえない反応速度でスライディングし、弾丸を躱(かわ)した。 「なっ……!?」 そのまま壁を蹴り、空中に飛び出す『NO-FACE』。 空中で回転しながら、正確無比な射撃を陸斗に叩き込む。
バシュン! 陸斗の視界が赤く染まり、キャラクターが倒れ込んだ。 『YOU LOSED』
部室に沈黙が落ちた。 「……え? 今の何?」 後ろで見ていた健太が目を丸くする。 「嘘だろ……。あの距離、あのタイミングで避けるなんて……ラグ(通信遅延)か?」 陸斗は指を震わせながら、次のラウンドへ進んだ。
しかし、悪夢は続いた。 『NO-FACE』の動きは、陸斗が積み上げてきた「セオリー」を悉(ことごと)く無視していた。 有利なポジションを捨てて特攻してくる。 絶対に撃ち負けるはずの武器で近距離戦を挑んでくる。 まるで、こちらの思考を読んで遊んでいるかのような、獣の動き。
「くそっ……! なんでそこにいる!?」 陸斗の声が荒くなる。 読みが外れる。エイムが追いつかない。 指先が冷たくなり、思考がホワイトアウトしていく。 ロジックが通じない。計算ができない。 画面の向こうにいるのは、人間ではなく、制御不能な「嵐」そのものだった。
『MATCH FINISHED』 『LOSE』
完敗だった。 スコアは0対13。一点も取れず、一方的に蹂躙された。
3.崩れ去る自信
陸斗はヘッドセットを毟(むし)り取るように外し、デスクに突っ伏した。 モニターのファンが回る音だけが、虚しく響いている。
「陸斗……」 悠真が心配そうに声をかける。 「……ありえない。あんな動き、プログラムのバグだ」 陸斗は顔を上げず、うめくように言った。 だが、わかっている。 あれはバグでもチートでもない。 純粋な、圧倒的な、才能の差だ。 反射神経、動体視力、そして土壇場での判断力。 自分が「知識」と「計算」で補ってきたものが、野生の「本能」に食い殺されたのだ。
「まぁまぁ、ドンマイだって! 相手が強すぎたんだよ」 健太が励ますように肩を叩くが、その手は今の陸斗には重すぎた。 「……触るな」 陸斗は健太の手を振り払った。 「お前に何がわかる。……僕が積み上げてきたものは、あんなデタラメな奴に負けるほど軽くないはずなんだ……!」
部室の空気が凍る。 陸斗は立ち上がり、鞄を掴んだ。 「……今日は帰る」 誰の顔も見ずに、陸斗は部室を出て行った。 背中が震えていたのを、悠真は見逃さなかった。
翌日から、陸斗はスランプに陥った。 簡単な操作ミスをする。 敵の足音が聞こえているのに、体が反応しない。 『NO-FACE』の幻影がちらつき、指が強張る。 「天才」と呼ばれたデジコン部部長のプライドは、粉々に砕け散っていた。
放課後の部室。 モニターの前で呆然とする陸斗を、悠真と健太は遠巻きに見守っていた。 「……あいつ、重症だな」 健太が腕組みをして言う。 「うん。自信喪失してるみたい」 「どうすりゃいいんだ? ゲームのことは俺にはさっぱりわかんねぇけどよ」 健太はガシガシと頭をかき、そして何かを閃いたように顔を上げた。 「……待てよ。わかんねぇなら、俺のやり方でやるしかねぇな」
「え? 健太、何する気?」 悠真が不安そうに尋ねる。 健太はニカっと笑い、陸斗の背後に忍び寄った。 「理屈でダメなら……これしかねぇ!」
バァン!! 健太が陸斗の背中を全力で叩いた。 「ぐはっ!?」 陸斗が椅子から転げ落ちる。 「な、何をするんだ野蛮人!」 「うるせぇ! うじうじ考えてるからドツボにハマるんだよ!」 健太は陸斗の襟首を掴み、強引に立たせた。 「明日から俺の朝練に付き合え! 筋肉は脳みそを凌駕する! 汗かいて全部忘れろ!」 「はあ!? 意味が不明だ! 僕はインドア派で……」 「拒否権はねぇ! 朝五時に家の前集合な! 遅れたら水をぶっかける!」
強引すぎる提案。 しかし、それが、陸斗の止まっていた時間を無理やり動かすきっかけになるとは、この時の彼はまだ知る由もなかった。
(第2話へつづく)