スピンオフ:桜庭陽菜の深夜のツッコミ道場 〜正体隠して伝説へ〜
【第3話】 パブリックビューイングの危機
7.処刑台へようこそ
金曜日の夜。 商店街にある「かぐらや」の奥座敷、鉄板のあるテーブル席は、異様な緊張感と熱気に包まれていた。
「接続完了。回線速度、良好だ」 秋山陸斗が、持ち込んだノートパソコンを店の壁掛けテレビに接続し、眼鏡を光らせた。 画面には、YouTubeの待機画面が表示されている。 中央には『緊急生配信! ボタニカル将軍、出てこいやSP』の文字。
「うおぉぉ! 始まったぞぉぉ!」 浜田健太がコテを両手に持って叫ぶ。 「楽しみね。どんなコメントが来るのかしら」 藤沢琴音も、興味津々といった様子で画面を見つめている。 神楽坂葵は、厨房から山盛りのもんじゃ焼きの具材を運んできた。 「はい、お待たせ! 今日は『将軍観戦スペシャルもんじゃ』だよ!」
クラスメイト、幼なじみ、そして店のお客さんたちまでもが、固唾を飲んで画面を見守っている。 その中心で。 桜庭陽菜は、死んだ魚のような目でウーロン茶を握りしめていた。
(……終わった。ここが私の処刑場や)
陽菜は心の中で合掌した。 こんな衆人環視の中で、どうやってツッコミを入れろというのか。 スマホを取り出した瞬間に「あ、陽菜ちゃん何してるの? コメント打つの?」と覗き込まれ、身バレして終了だ。 かといって、コメントしなければ「将軍、逃げたな」「偽物だったか」と失望され、それはそれでプライドが許さない。
(どうする……トイレに駆け込むか? いや、タイミングが不自然すぎる。机の下でブラインドタッチ? 無理や、誤字ったら将軍の沽券に関わる……!)
陽菜が冷や汗をかきながら葛藤していると、隣に座っていた蒼井悠真が、心配そうに声をかけてきた。 「……陽菜。大丈夫?」 「えっ?」 「顔色、真っ白だよ。……やっぱり、こういう雰囲気、苦手?」 悠真の声は、周りの喧騒にかき消されるほど小さく、優しかった。 陽菜は、縋(すが)るような目で悠真を見た。 「う、うん……ちょっとだけ、緊張しちゃって……」 「そうだよね。無理しないでね」 悠真はそう言って、陽菜の前に置かれたおしぼりの袋を開けてくれた。 その無垢な優しさが、今は五臓六腑に染み渡ると同時に、罪悪感で胸が張り裂けそうになる。
8.鉄板の防壁(アイアン・ウォール)
『はいどーもー! こんばんは!』 テレビ画面から、島村周平の能天気な声が響いた。配信開始だ。 『今日はですね、巷で噂の「ボタニカル将軍」さんが見てくれていることを祈って、とっておきの心霊スポットから生中継です!』
島村が映し出したのは、古びた廃トンネルだった。 画面が暗くなり、ノイズが走る。 『聞こえますか……? このトンネル、女性の霊が出るらしくてですね……。おっと、今、誰かが僕の肩を叩いたような……!』
「出た! 島村の『肩叩かれた』芸!」 健太が突っ込む。 「いや、これは気流の変化による触覚の錯覚である可能性が高い」 陸斗が分析する。 みんなが画面に釘付けになる中、陽菜の指先がピクリと動いた。
(……叩いたんちゃうわ! ジャケットのフードが風で当たっただけやろがい! サイズ合うてへんねんその服!)
言いたい。 今すぐにコメント欄に叩き込みたい。 喉まで出かかったツッコミを、ウーロン茶で無理やり流し込む。 陽菜の体が、禁断症状のように小刻みに震え始めた。
その震えに、悠真が気づいた。 (陽菜……震えてる。やっぱり、怖いんだ) 悠真は、陽菜がオカルト映像に怯えているのだと確信した。 みんなの手前、帰るとは言い出せないのだろう。 (僕が、なんとかしてあげないと)
悠真は、決意の眼差しで鉄板を見た。 そして、おもむろに立ち上がると、陽菜と、対面に座る健太・陸斗たちの間に割って入るように身を乗り出した。 「……よし、焼くよ」 悠真は、もんじゃのボウルを手に取った。 「えっ? 悠真が焼くの? 珍しいな」 健太が画面から目を離さずに言う。 「うん。僕、もんじゃにはちょっとうるさいんだ。……土手作りは任せて」
ジュウゥゥッ!! 悠真は、陽菜の目の前の鉄板に、大量のキャベツを投下した。 そして、二つのヘラを使い、カンカンカンッ! と小気味よいリズムで具材を刻み始めた。 その体勢は、前傾姿勢。 悠真の広い背中と、立ち上る大量の湯気が、壁となって陽菜を覆い隠す。
陽菜はハッとした。 目の前が、悠真の背中で埋め尽くされたのだ。 対面の健太たちの視線は、悠真の背中と湯気に遮られている。 横の琴音と葵は、画面に夢中だ。
(……死角や!)
陽菜は直感した。 悠真くんが、私を守るために(と陽菜は解釈した)、人間の盾になってくれている! テーブルの下、膝の上なら、誰にも見られない。 今しかない!
陽菜は素早くスマホを取り出し、画面の輝度を最低まで下げた。 そして、親指を走らせる。
9.湯気の中の攻防
画面の中では、島村がトンネルの壁のシミを指差して騒いでいた。 『見てください! これ、人の顔に見えませんか!? 苦悶の表情を浮かべる、落ち武者の霊です!』
陽菜の指が残像を残す。 送信ッ!
ボタニカル将軍:『ただの雨漏りのシミや! 落ち武者がそんなコンクリートのトンネルに出るかい! 歴史の教科書読み直してこい!』
画面上のチャット欄に、将軍のコメントが表示された。 店内がどよめく。 「来た! 将軍だ!」 「ははは! 落ち武者否定www」 「相変わらずキレッキレだな!」
島村もコメントを拾う。 『えー……将軍さんから「歴史を勉強しろ」とのお言葉をいただきました……。いや、確かにこのトンネル、昭和にできたやつですね……』
陽菜はスマホを膝の上に伏せ、大きく息を吸った。 (……ふぅ。一仕事終えたわ) 顔を上げると、目の前には一生懸命にもんじゃの土手を作っている悠真の横顔があった。 彼は、周りが「将軍だ!」と騒いでいるのにも反応せず、ひたすらキャベツと向き合っている。 「……悠真くん」 陽菜が小声で呼ぶと、悠真は作業の手を止めずに、ちらりとこちらを見た。 「ごめんね、煙いよね」 悠真は、陽菜の方に煙がいかないように、手で仰いでくれた。 「ううん。……ありがとう」 陽菜は心からの感謝を伝えた。 悠真は「いいよ、これくらい」と優しく微笑む。
悠真の心理: (陽菜、顔色が少し良くなった。やっぱり、怖い画面が見えないようにしてあげて正解だったな。僕が壁になって、美味しいもんじゃを作って、彼女を怖がらせないようにしよう)
陽菜の心理: (悠真くん、私がコメント打ちやすいように、あえて壁になってくれてるんや……! しかも「煙いよね(=スマホの画面見えにくいよね)」って気遣いまで……! なんでこの人、こんなに察しがいいの!? 好き!!)
完璧なすれ違い。 しかし、その結果として、陽菜の秘密は守られ、悠真の好感度はストップ高を記録していた。
その後も、悠真は「チーズ入れるね」「次は明太もちにする?」と甲斐甲斐しく世話を焼き、そのたびに陽菜は悠真の影に隠れて、ここぞとばかりにツッコミを投稿し続けた。 『風の音や! 声ちゃうわ!』 『カメラの手ブレで酔うわ! 三脚使え!』
店内の盛り上がりは最高潮に達し、島村も将軍との(一方的な)掛け合いを楽しんでいる。 鉄板の上では、もんじゃが香ばしく焦げていく。 悠真の背中は温かく、そして頼もしい。
しかし、平和な時間は長くは続かなかった。 番組の終盤。 島村が、トンネルの最深部に到達した時。 本当のトラブルが、画面の向こうと、そしてここ「かぐらや」を襲うことになる。
『……え? ちょっと待ってください。カメラのバッテリーが……』 プツン。 唐突に、画面がブラックアウトした。 そして、店内の照明も、バチッという音と共に消えた。
「えっ!?」 「停電!?」 真っ暗闇に包まれた店内。 悲鳴が上がる中、陽菜のスマホだけが、膝の上で青白く光っていた。
(第4話へつづく)