スピンオフ:裏生徒会長の優雅な策略
【第1回】 毒虫の擬態と、計算違いのプライド
1.生徒会室の奇妙な生態系
放課後の静寂に包まれた校舎の三階、渡り廊下の突き当たりに、その「魔窟」はある。 プレートには『生徒会室』と書かれているが、実情は『猛獣の檻』と『お花畑』が同居する亜空間だと言った方が正しい。
一年生書記の小野寺ミナミ(おのでら・みなみ)は、今日も胃の痛みを覚えながら、その重たい扉を開けた。 「し、失礼します……」
室内には、対照的すぎる二つの音が響いていた。 一つは、優雅なペンの音。 もう一つは、マシンガンのようなキーボードの打鍵音だ。
「あ、ミナミちゃん! お疲れ様〜!」 窓際の会長席から、キラキラとしたオーラを背負って手を振ったのは、生徒会長の一ノ瀬翔太(いちのせ・しょうた)だ。 爽やかな笑顔、整えられた髪、着こなしも完璧な制服姿。彼は全校生徒、特に女子からの圧倒的な支持を得て当選した、この学校のアイドル的存在である。 彼の手元にあるのは、生徒からの要望書……ではなく、ファンレターの山だった。 「今日もいっぱい手紙来ちゃってさ〜。返事書くの大変だよ〜」
「……翔太。口動かしてないで手ぇ動かせ」
地獄の底から響くようなドスの効いた声が、室内の空気を凍らせた。 声の主は、副会長席……ではなく、その横の会計席に陣取る、派手なギャルだ。 茶色く巻いた髪、耳には複数のピアス、スカート丈は校則ギリギリ。そして何より目を引くのは、キーボードを叩く指先に施された、鋭利な刃物のようなデコネイルと、バサバサと風を起こしそうなほどのつけまつげだ。
彼女こそが、この生徒会室の実質的な支配者。 会計にして、学年トップの頭脳を持つ怪物、佐伯結衣(さえき・ゆい)先輩である。
「ひいっ! ご、ごめん結衣ちゃん先生!」 一ノ瀬会長が怯えて縮み上がる。 「誰が先生よ。……おい、ここの稟議書、ハンコの位置が2ミリずれてんぞ。これじゃ教頭の老眼じゃ認識できねーだろ。やり直し」 「うそぉ!? 2ミリくらいいいじゃん!」 「美学の問題よ。却下」 結衣先輩は、親指ほどの長さがあるネイルチップを器用に操り、ブラインドタッチで書類を作成しながら、同時に会長の不備を糾弾している。その処理能力は、スーパーコンピューター並みだ。
ミナミはおそるおそる自分の席に着いた。 (……やっぱり、おかしい) 入部して三ヶ月。ミナミの疑問は解消されるどころか、深まるばかりだった。 なぜ、学年一位の秀才であり、これほどの実務能力を持つ佐伯先輩が、あんな派手な格好をして、無能な(失礼)一ノ瀬会長の尻拭いをしているのか。 学校の七不思議の一つ、「佐伯先輩のギャル化」の謎である。
「ミナミ。ぼーっとしてないで、文化祭実行委員会の議事録まとめて。15分で」 「は、はいっ!」 思考を読まれたかのようなタイミングで指示が飛んできた。 ミナミは慌ててパソコンに向かった。
2.戦略的誤算とプライド
一時間後。 「……あー、疲れた。糖分枯渇」 結衣先輩がキーボードから手を離し、大きく伸びをした。 一ノ瀬会長は「美容院の予約があるから!」と言い残し、結衣先輩に睨まれる前に脱兎のごとく帰宅してしまったため、室内には二人きりだ。
結衣先輩は、コンビニの袋から紙パックの紅茶を取り出し、ストローを挿した。 その仕草だけ見れば、放課後の教室にたむろする普通のギャルだ。しかし、彼女のデスクに積み上げられた書類の山は、教員三人がかりでも終わらない量だったはずだ。それを一人で片付けてしまった。
「あの……佐伯先輩」 ミナミは、意を決して尋ねてみることにした。 「ん? 何?」 「先輩は……どうして、その、そんな格好をしてるんですか?」 言ってしまった。 怒られるかもしれない。カツアゲされるかもしれない。 ミナミは身構えた。
しかし、結衣先輩は怒るどころか、ふっと遠い目をして、窓の外を見つめた。 そこには、部活動に励む生徒たちの姿や、通学路を歩く中学生たち(本編の悠真たちだろうか)が見える。 「……ミナミ。あんた、生物学は好き?」 「は? 生物、ですか?」 「自然界にはね、『擬態』って生存戦略があるのよ。毒を持たない昆虫が、毒を持つスズメバチの模様を真似て、外敵から身を守るやつ」 結衣先輩は、自らの派手な巻き髪を指先でくるくると弄んだ。 「これはね、それよ。『毒虫の擬態』」
「ど、毒虫……?」 「そう。私、中学までは黒髪三つ編みの、絵に描いたような優等生だったの」 「ええっ!?」 想像できない。今の姿からは1ミリも想像できない。 「でもね、優等生ってのは『使い勝手のいい道具』なのよ。先生からは学級委員を押し付けられ、クラスメイトからはノートを貸せと言われ、揉め事の仲裁までさせられる。……私の貴重な青春のリソースが、他人の雑用に食い潰されるのが我慢ならなかった」
結衣先輩の目が、冷徹な光を帯びる。 「だから、高校入学を機に私は決断したの。徹底的な『キャラ変』をね。誰からも話しかけられない、教師も目を合わせたくないような『ヤバい奴』になれば、雑用係の依頼率は85%減少するはずだ、と」 なるほど、とミナミは頷いた。 確かに、合理的だ。近づきがたい外見で威嚇し、平穏な時間を確保する。天才ならではの発想だ。
「……でも、先輩。今、誰よりも働いてますよね?」 ミナミが核心を突くと、結衣先輩はガクリと項垂れた。 つけまつげが、悲しげに震える。 「……計算ミスだったわ」 「ミス?」 「まず、このメイクと髪のセットに、毎朝90分かかるの」 「90分!?」 ミナミは絶句した。毎朝4時起きということか。 「雑用を断ることで浮くはずだった時間を、準備時間が遥かに上回ってしまったのよ。完全にコスト計算の誤りだわ。タイパ最悪よ」 「そ、それは……」 「それに、参考にしたのが叔母の家にあった『2000年代のギャル雑誌』だったせいで、今の高校生から見ると『一周回って信念のあるレトロ・スタイル』に見えたらしくて……逆にカリスマ扱いされて、一ノ瀬みたいな信者が寄ってくる始末」
結衣先輩は、紅茶を一気に吸い込んだ。 「入学3日目で気づいたわ。『これ、普通にしてた方が楽だった』って」 「じゃ、じゃあ、戻せばいいじゃないですか!」 「バカ言わないで!!」 結衣先輩が机をバンと叩いた。 「今更『キャラ作り間違えました、テヘペロ』なんて黒髪に戻したら、私の『計算ミス』を公に認めることになるじゃない! 私のプライドが許さないのよ! 一度始めたプロジェクトは、意地でも完遂する。それが佐伯結衣の流儀よ!」
……めんどくさい。 ミナミは心の中でそう思った。 この人は、天才で合理的だけど、根っこの部分がどうしようもなく不器用で、プライドが高いのだ。 涙目でつけまつげの位置を直している先輩を見て、ミナミは初めて、彼女のことを「可愛い」と思ってしまった。
3.鬼教師の来襲
そんな奇妙な告白タイムの空気を切り裂くように、生徒会室のドアが乱暴に開けられた。 バンッ!! 「いるか! 生徒会長!」
入ってきたのは、生活指導担当の鬼瓦厳(おにがわら・げん)教諭だった。 角刈りにジャージ、手には竹刀(今は持ち込み禁止のはずだが)を持っている、昭和の遺物のような教師だ。 彼は、派手な見た目の結衣先輩を目の敵にしている「天敵」である。
「あら、鬼瓦先生。ノックくらいしてくださいな。育ちが知れますよ」 結衣先輩は瞬時に涙目を引っ込め、冷ややかな「裏会長モード」に切り替わった。 「ふん、不良娘が。……一ノ瀬はどうした」 「美容院です。公務より身だしなみを優先する、素晴らしい会長でしょう?」 「チッ、まあいい。貴様らに通達だ」
鬼瓦は、一枚の書類をデスクに叩きつけた。 そこには、赤字で大きくこう書かれていた。 『文化祭予算削減案』
「……なんです、これ」 結衣先輩が書類を手に取る。 内容を読み進めるにつれ、彼女の表情から温度が消えていった。 「今年の文化祭予算を3割カット。模擬店の出店数は半減。ステージ使用時間は2時間短縮……。先生、正気ですか?」 「大真面目だ」 鬼瓦は鼻を鳴らした。 「理由は二つ。一つは『近隣住民からの騒音クレーム』への懸念。もう一つは『学力低下の防止』だ。最近の生徒は浮かれすぎている。学生の本分は勉強だ。遊びに金を使う必要はない」
ミナミは青ざめた。 文化祭は、この学校の最大のイベントだ。予算が3割も削られれば、装飾はショボくなり、楽しみにしている模擬店も抽選になるだろう。 本編の中学生たち――葵ちゃんが「かぐらや」の屋台を出すのを楽しみにしていることや、琴音ちゃんたちが合唱部の発表を見学に来ることを、ミナミも知っていた。 それが、全部ダメになってしまうかもしれない。
「……却下します」 結衣先輩が静かに言った。 「生徒会規約第5条。予算の変更には、生徒総会での承認が必要です。先生の一存で決められることではありません」 「黙れ! これは職員会議での決定事項に近い『指導』だ!」 鬼瓦が怒鳴る。 「お前のような派手な生徒が、学校の風紀を乱しているんだ! お前が中心になって騒ぐ文化祭など、百害あって一利なしだ!」
ああ、とミナミは悟った。 騒音だの学力だのは建前だ。 この教師は、ただ単に、結衣先輩のような「自分の言うことを聞かない生徒」が目立つのが気に入らないだけなのだ。 私怨。大人の、一番醜い感情。
結衣先輩は、長いまつ毛を伏せ、ため息をついた。 そして、顔を上げた時、その瞳は見たこともないほど冷たく、鋭く光っていた。 「……へえ。非合理的ね」 彼女はゆっくりと立ち上がり、鬼瓦を見下ろすように対峙した。 「いいでしょう。そこまで仰るなら、こちらも考えがあります」 「なんだ、退学覚悟で暴れるか?」 「野蛮ですね。……私は『平和』と『自由』を愛する女ですよ」
結衣先輩はニッコリと笑った。それは、獲物を前にした肉食獣の笑みだった。 「鬼瓦先生。この佐伯結衣に喧嘩を売ったこと、後悔させて差し上げます。……論理(ロジック)という名の凶器でね」
鬼瓦が去った後、静まり返った生徒会室で、結衣先輩はスマホを取り出した。 「ミナミ、残業よ」 「は、はい! 何をすれば!?」 「情報収集。……敵を知り、己を知れば百戦危うからず。まずは、その『騒音クレーム』とやらの正体を暴くわよ」
結衣先輩は、ネイルの先でスマホの画面をタップした。 その顔には、もう迷いも、メイク時間の後悔もなかった。 あるのは、理不尽に立ち向かう「裏生徒会長」としての、覚悟とプライドだけだった。
(第2回へつづく)