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【第4回(最終回)】 世界一温かい場所

スピンオフ:かぐらや繁盛記 〜鉄板は熱いうちに打て〜

【第4回(最終回)】 世界一温かい場所

10.弟子入りのその後

 あの日以来、父と豊子さんの奇妙な師弟関係は続いた。  父は、洋食で培った「火加減」や「生地の配合」の知識を一旦すべて捨て去り、豊子さんの教えである「タコの声を聞く」「生地を育てる」という、感覚的かつスピリチュアルな極意を貪欲に吸収していった。

 一ヶ月後。  店には、正式に『たこ焼き(要予約)』のメニューが加わった。  父が焼くたこ焼きは、豊子さん直伝の「外カリ中トロ」に、父独自の隠し味(鶏ガラスープの煮凝りを入れることで、口の中でスープが弾ける仕掛けだ)が加わり、瞬く間に評判となった。

 それでも、豊子さんが店に来ると、父の背筋はピンと伸びる。 「へい、お待ち!」  父が緊張した面持ちでたこ焼きを出す。  豊子さんは、熱々のひとつを口に放り込み、ハフハフと転がし、そして飲み込む。  その間、約五秒。父にとっては永遠にも感じる審判の時間だ。 「……うん。まあまあやな」 「あ、ありがとうございます!」 「せやけどマスター、今日のタコ、ちょっと機嫌悪かったんちゃう? もうちょい優しゅうひっくり返さな」 「は、はいっ! 精進します!」

 ミシュランの星を狙っていたかつてのシェフは、今や大阪のオカンに頭が上がらない「街のたこ焼き職人」としての誇りを胸に生きていた。  あのフランス製の「エスカルゴ・プレート」は、今では完全に油が馴染み、黒光りする「たこ焼き専用プレート」として、店の棚の一等地に鎮座している。  たまに父が、閉店後の誰もいない店内で、そのプレートを磨きながら「……ボンジュール」と小声で話しかけているのを、私は見なかったことにしている。

11.カオスという名のハーモニー

 そして、物語は現在に戻る。  中学三年生の春休み。私は、今日も「かぐらや」のエプロンを着けてホールを回っている。

「いらっしゃいませー! 予約の神楽坂(悠真たちのグループ)様ですねー!」  ドアが開くと、賑やかな声と共に、いつものメンバーが入ってきた。  蒼井悠真、桜庭陽菜、浜田健太、藤沢琴音、そして秋山陸斗。  彼らは中学卒業と高校入学を祝う会をするために集まったのだ。

「おーい、葵ちゃん! 今日は『たこパ』だろ? 親父さんの出番だぜ!」  健太が鼻息荒く席に着く。 「はいはい。準備できてるよ」  私がテーブルの中央の鉄板をガコッと外し、あの重たいプレートをセットすると、みんなから「おお〜!」と歓声が上がる。  このプレートが登場することは、この店における一種のイベントなのだ。

「よっしゃ! 焼くぞ!」  父が鉢巻を締め直し、ボウルを抱えて厨房から出てきた。  その顔は、真剣そのものだ。 「今日の生地は最高だ。出汁の配合を1%変えてみた。……いくぞ!」  ジュワァァァッ!  父が生地を流し込むと、香ばしい出汁の香りが店内に広がる。  悠真がすかさずカメラを構え、その瞬間を切り取る。陽菜が「美味しそう……」と目を輝かせる。琴音と陸斗が、父の手際を真剣に分析している。

 その隣の席では、石川さんがラーメンをすすりながら新聞を読んでいる。  さらに奥の席では、ウメさんたち老人会が、もんじゃ焼きをつつきながら昔話に花を咲かせている。  カウンターでは、サラリーマンがハンバーグ定食を食べながら、父のたこ焼きパフォーマンスを肴にビールを飲んでいる。

 たこ焼き、ラーメン、ハンバーグ、もんじゃ。  普通ならありえない組み合わせ。  けれど、ここには笑顔がある。  美味しい匂いと、湯気と、笑い声が混ざり合い、この店独自の「空気」を作っている。

「はい、お待ちどうさま!」  父が完璧な手つきで焼き上げたボールたちが、皿の上で揺れている。 「いただきまーす!」  みんなが一斉に頬張り、「熱っ!」「うまっ!」と声を上げる。  その光景を見て、父は満足げに頷き、また厨房へと戻っていく。その背中は、昔見た「孤高のシェフ」の背中よりも、ずっと大きく、温かく見えた。

12.父の新しい夢

 閉店後。  片付けを終えた店内で、私は父にコーヒーを淹れた。  父はカウンターに座り、綺麗に磨き上げられた鉄板を眺めていた。 「……お父さん、お疲れ様」 「おう、ありがとうな葵」  コーヒーの湯気が、父の顔を隠すように立ち上る。

「ねえ、お父さん」  私は、ずっと聞きたかったことを口にした。 「お父さんの夢、『ビストロ』だったじゃない? ……後悔してないの?」  ハンバーグだけの専門店。お洒落な内装。静かなジャズ。  今のこの店は、父が描いていた理想とは、あまりにもかけ離れている。

 父はカップを置き、ゆっくりと首を横に振った。 「後悔なんて、あるわけないさ」  父は、誰もいない客席を見渡した。 「俺の夢はな、『日本一のハンバーグ屋』をやることだった。でも、それよりもっと根本にあったのは、『自分の料理で、客を腹一杯にして、笑顔にしたい』ってことだったんだ」  父は、私の目を真っ直ぐに見て笑った。 「見てみろよ、今日のあいつらの顔。石川さんの顔。豊子さんの顔。……あんなにいい顔で飯を食ってくれる場所が、他にあるか?」

 私は、首を振った。  ない。ここ以上の場所なんて、きっとどこにもない。

「形は変わっちまったけどな。ハンバーグも、ラーメンも、たこ焼きも……全部ひっくるめて『かぐらや』だ。俺は今、この店が世界で一番気に入ってるよ」  そう言った父の顔は、私が知る限り最高にカッコいい料理人の顔だった。

「……そっか」  私も笑った。 「私もだよ。私も、この店が大好き」

 ガチャリ。  裏口のドアが開き、母さんがゴミ出しから戻ってきた。 「なになに? 二人でまた熱い話? 鉄板が冷めないうちに片付けちゃうわよ」 「へいへい。雅子マネージャーには敵わないな」  父が肩をすくめる。  母さんの現実的な支えがあったからこそ、父の情熱は暴走せずに形になったのだ。この二人は、やっぱり最強のパートナーだ。

結び:鉄板は熱いうちに打て

 商店街の夜が更けていく。  『かぐらや』の看板の明かりが消える。  けれど、店の中に染み付いた出汁の匂いと、鉄板の熱は、明日まで残り続けるだろう。

 父さんの夢見た「お洒落なビストロ」は、幻と消えた。  その代わりに生まれたのは、世界一カオスで、世界一温かい、私たちの居場所。

 私は、高校生になっても、大人になっても、この店を手伝い続けるだろう。  だって、ここには人生のすべてがあるから。  失敗も、妥協も、挑戦も、そして最高の笑顔も。すべてを飲み込んで、鉄板の上で美味しく焼き上げてくれる魔法が、ここにはある。

「よし、帰って寝るか! 明日の仕込みも早いぞ!」 「お父さん、明日は豊子さんが来るって言ってたよ」 「げっ、マジか! ……タコの声を聞く練習しとかないと!」

 夜空には、たこ焼きみたいにまん丸な月が浮かんでいた。  今日も「かぐらや」は、平和で、騒がしくて、愛おしい。  鉄板は熱いうちに打て。  人生も、料理も、冷めないうちに味わい尽くさなくちゃね。

(完)