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第28話:受験シーズン、中学三年生たちの奮闘

地方都市のメロディ 〜桜舞う通学路〜

第28話:受験シーズン、中学三年生たちの奮闘

二月。地方都市の冬は、底冷えのする寒さと共に、独特の緊張感を運んでくる。 学校の空気は、一月までとは明らかに違っていた。 特に、北校舎の三階――三年生の教室があるフロアは、休み時間であっても静まり返り、廊下を歩く足音さえも憚(はばか)られるような、「聖域」のような雰囲気を醸し出していた。

図書室も連日満席だ。 放課後、蒼井悠真が本を返却しに行くと、閲覧席は受験生たちで埋め尽くされていた。 ページをめくる音、シャーペンが紙を走るカリカリという音、そして時折漏れる深いため息。 そこに、後輩たちが気安く入り込む隙間はない。 悠真は、その張り詰めた背中たちの向こうに、自分たちが一年後に立つ場所を幻視して、背筋が寒くなるのを感じた。

「……すごい集中力ね」 カウンターで貸出作業の手伝いをしていた図書委員の藤沢琴音が、小声で話しかけてきた。 「うん。なんか、別の世界みたいだ」 「来年は、私たちが座ってるのよ、あそこに」 琴音の言葉に、悠真は「想像したくないな」と苦笑いした。

放課後、「かぐらや」に集まったいつものメンバーも、今日は心なしか声のトーンが低かった。 「いらっしゃい。……静かにね」 神楽坂葵が、口元に人差し指を立ててウィンクする。 視線の先、カウンター席のいつもの場所には、佐竹涼子先輩がいた。 私立高校の受験を終え、いよいよ第一志望の公立高校入試を数週間後に控えた彼女の周りには、鬼気迫るオーラが漂っている。 積み上げられた赤本(過去問集)、使い込まれてボロボロになった単語帳、そして冷めたお茶。

悠真たちは奥の鉄板席に座ったが、今日はジュウジュウと音を立てて焼くのは控え、厨房で作ってもらった定食を静かに食べることにした。 「……なんか、息詰まるな」 浜田健太が、唐揚げを咀嚼しながら囁く。 「仕方ないだろ。先輩にとっては人生の分岐点だ」 秋山陸斗も、携帯ゲーム機のボリュームをミュートにしている。 「涼子先輩、少し痩せたみたい……。大丈夫かな」 桜庭陽菜が心配そうに眉を下げる。

その時、カウンターから「はぁぁ……」という、重たく長い溜息が聞こえた。 涼子がペンを置き、両手で顔を覆って俯いている。 行き詰まったのか、不安に押しつぶされそうなのか。その背中は、以前よりもずっと小さく、脆く見えた。

葵がお盆にお絞りと温かいお茶を乗せ、厨房から出てきた。 しかし、声をかけるのを躊躇っている。 今の先輩に、なんて声をかければいいのか。安易な「頑張れ」は、もう十分頑張っている人には酷かもしれない。

「……葵ちゃん、これ」 陽菜が、自分の鞄から小さな包みを取り出し、葵のお盆に乗せた。 「え?」 「ハーブティーのティーバッグ。リラックス効果があるやつ。ボタニカル部で作ったの」 「……わかった」 葵は頷き、さらに厨房から小鉢を一つ乗せた。 「お父さんが、『糖分補給だ』って。特製杏仁豆腐」

葵は深呼吸をして、涼子の隣へ行った。 「涼子先輩、お疲れ様です。……少し、休憩しませんか?」 涼子が顔を上げる。目の下に隈があり、表情は強張っていた。 「あ、葵ちゃん……。ごめんね、暗い顔して」 「そんなことないですよ。これ、差し入れです」 温かいお茶と杏仁豆腐、そしてハーブティーが置かれる。 「……ありがとう」 涼子はスプーンを手に取り、杏仁豆腐を口に運んだ。 冷たくて甘いその味が、張り詰めた神経を少しだけ緩めたのか、彼女の表情がふっと和らいだ。

「……怖いなぁ」 涼子が独り言のように漏らした。 「もしダメだったらどうしようとか、そんなことばっかり考えちゃって。……私、ここに来てばっかりで、迷惑かけてるよね」 「迷惑なわけないじゃないですか!」 思わず、鉄板席から健太が声を上げた。 「えっ?」 涼子が振り返る。悠真たち全員が、先輩の方を見ていた。 「俺たち、先輩がここで頑張ってるの見て、すげぇなって思ってますから! 迷惑なんて誰も思ってませんよ!」 健太のデリカシーのない、しかし直球の言葉。 「そうよ。この店は、頑張る人の味方だもの」 琴音が眼鏡を直して続く。 「先輩の合格、計算上は確実圏内だと思いますが……最後はメンタルです。美味しいもの食べて、リラックスしてください」 陸斗なりの励まし。 「応援してます、先輩」 悠真と陽菜も、真剣な眼差しで頷いた。

涼子は、きょとんとして後輩たちの顔を見渡し、やがて目元を拭って、静かに笑った。 「……ふふ、ありがとう。そっか、そうだよね。一人で戦ってる気になってたけど、ここにはみんながいるんだもんね」 彼女は背筋を伸ばし、残りの杏仁豆腐を平らげた。 「美味しかった。……よし、やるぞ!」 涼子は自分の頬をパンと叩き、再びペンを握り直した。 その横顔には、さっきまでの悲壮感はなく、ただ前を見据える強い意志が宿っていた。

「……かっこいいな」 悠真が呟いた。 何かに本気で打ち込む人の姿は、美しい。 ファインダーを覗かなくても、その輝きは心に焼き付く。

帰り道。 夜空には、凍えるような鋭い三日月が浮かんでいた。 「先輩、受かるといいな」 健太が白い息を吐く。 「うん。きっと大丈夫だよ」 陽菜がマフラーに顔を埋めて答える。

悠真は、ポケットの中の手を握りしめた。 来年の今頃、自分はどんな顔をしているだろうか。 あんな風に、強くなれているだろうか。 答えはまだ出ない。 けれど、先輩の背中が教えてくれた「本気」の熱量は、確かに悠真たちの中に種を蒔いていた。

「よし、帰って宿題やるか!」 「え、健太が?」 「うるせぇ! 俺だってやるときはやるんだよ!」

寒空の下、少年たちの笑い声が響く。 春はもうすぐそこまで来ている。 それぞれの戦いと、それぞれの旅立ちの季節が。

(第29話へつづく)