地方都市のメロディ 〜桜舞う通学路〜
第20話:夕暮れの語らい、進路の影
祭りの終わりは、いつも唐突だ。 放送部が流す『蛍の光』のメロディが校内に響き渡ると、先ほどまでの熱狂が嘘のように引いていく。 装飾が剥がされ、机や椅子が元の位置に戻される教室は、まるで魔法が解けたかのように、ただの無機質な箱に戻ってしまう。
「あーあ、終わっちゃったなぁ」 浜田健太が、剥がしたポスターを丸めながら大きくため息をついた。その顔には、完全燃焼した男特有の、清々しさと寂しさが同居している。 「でも、大成功だったじゃない。健太の実況も面白かったわよ」 藤沢琴音が箒で床を掃きながら労う。 「おうよ! 来年はもっとデカいことやってやるぜ!」 「来年……か」 秋山陸斗が、片付け終わったモニターのコードを巻きながら呟いた。 「来年は、俺たちも受験生だな」
その言葉に、作業をしていた全員の手が一瞬止まった。 教室の窓から差し込む夕日は、どこか物悲しい茜色をしていて、長く伸びた影が床に落ちている。 中学二年生の秋。それは、子供時代の終わりが見え始め、現実的な未来が顔を覗かせる季節でもあった。
片付けを終え、昇降口に集まった六人は、夕暮れの通学路を歩き出した。 文化祭の余韻を楽しむように、歩みはいつもよりゆっくりだ。 風が吹くと、校庭の砂埃と、金木犀の甘い香りが運ばれてくる。
「ねえ、みんなはさ、高校どうするか決めてるの?」 神楽坂葵が、沈黙を埋めるように明るく振る舞って尋ねた。 「俺はまあ、水泳が強いとこかな。公立の北高か、私立なら推薦狙うか……親父は『好きにしろ』って言ってるけど」 健太が頭の後ろで手を組んで答える。 「僕は、情報処理科のある工業高校を調べてる。プロゲーマーになるにしても、ハードウェアの知識は必須だからな」 陸斗の答えは具体的だ。彼はもう、自分の道を見据えている。 「私は……音楽科のある高校への進学も考えているけれど、普通科に行って大学で目指すのもありかなって。まだ迷い中」 琴音は少し俯きながら言った。彼女の中にある「音楽」への情熱と、現実的な選択肢との間での揺れが見え隠れする。
「陽菜は?」 悠真が隣を歩く桜庭陽菜に尋ねた。 「うーん……私はまだ、全然わかんないや。お兄ちゃんみたいに大学行きたい気もするし、専門学校も楽しそうだし。……悠真くんは?」 「僕も、まだはっきりとは。……写真は続けたいけど、それをどう将来に繋げるかは、まだイメージできなくて」 悠真は首から下げたカメラを無意識に握りしめた。 今日の文化祭で撮った、たくさんの笑顔。この瞬間を切り取ることは好きだけれど、それが「仕事」になるのか、あるいは「趣味」として続けるべきなのか。 大人になるということは、好きなことに対して「責任」や「対価」を考えなければならなくなることなのかもしれない。
「そっかぁ。みんな、ちゃんと考えてるんだね」 葵が少し寂しそうに笑った。 「私なんて、『かぐらや』があるからいいじゃん、って思われてるかもしれないけど……実はお店を継ぐかどうかも、まだお父さんとちゃんと話したことないんだ」 「葵ちゃん……」 陽菜が心配そうに葵の顔を覗き込む。 「あはは! 暗くなっちゃったね! ごめんごめん! まだ二年生だし、これからこれから!」 葵は慌てて手を振り、話題を変えようとした。
川沿いの道に出ると、空は深い紫色に染まり始めていた。 一番星が光り、対岸の街灯が水面に揺らめいている。 三年前、小学生だった彼らは、ただ無邪気に遊び回るだけでよかった。 でも今は、それぞれの背負うものが少しずつ見え始め、歩く速度や向かう方向が、微妙にズレ始めているのかもしれない。
「……でもさ」 健太が立ち止まり、川を見つめながら言った。 「どこの高校に行っても、俺たちが仲間なのは変わんねぇよな?」 その言葉は、あまりに直球で、少し気恥ずかしいものだったけれど、今の彼らにとっては何よりも必要な言葉だった。 「当たり前でしょ。バカなこと言わないで」 琴音が眼鏡を直しながら、優しく笑う。 「物理的距離が変わっても、オンラインでの接続は可能だ」 陸斗なりの肯定に、葵が吹き出す。 「もう、陸斗ったら! でも、そうだね。みんな一緒だもんね」
悠真はファインダーを覗かず、肉眼で仲間たちの顔を見た。 夕闇の中で笑い合う五人の表情。 不安がないわけではない。迷いもある。 けれど、この場所がある限り、きっと大丈夫だと思える。 「……写真、撮ろうか」 悠真が提案すると、みんなが「えー、暗いよ?」「逆光じゃない?」と言いながらも集まってきた。 「いいの。今のこの感じを残したいから」 悠真はカメラを自分に向け、みんなを背景に入れてシャッターを切った。 カシャッ。 少し手ブレして、ピントも甘いかもしれない。 でも、モニターに映った六人の笑顔は、今日の夕焼けよりも温かく輝いていた。
「じゃあ、また明日!」 「宿題忘れるなよー」 「お疲れ様!」 交差点で手を振り合い、それぞれの帰路につく。 悠真と陽菜は、途中まで同じ方向だ。 二人きりになると、ふと静寂が降りてくる。 「……悠真くん」 「ん?」 「今日は楽しかったね」 「うん。すごく」 「……私ね、悠真くんの写真、大好きだよ」 陽菜が唐突に言った。 「え?」 「悠真くんが迷っても、悩んでも、私は悠真くんの写真のファンだから。それだけは伝えたくて」 陽菜は真っ直ぐに悠真を見て微笑んだ。 街灯の光が、彼女の瞳の中で揺れている。 その言葉は、どんな進路指導よりも、悠真の背中を押してくれる気がした。 「……ありがとう、陽菜」
家に着くと、日常の匂いがした。 夕飯のカレーの匂い、テレビの音、お風呂の沸く音。 今日という特別な一日が終わり、また明日から普通の毎日が始まる。 けれど、悠真は知っていた。 その「普通」の中にこそ、かけがえのない瞬間が隠されていることを。 そして、自分たちが少しずつ、大人への階段を登っていることを。
カメラを机に置き、悠真は窓の外を見上げた。 秋の空には、もう冬の星座が昇り始めていた。 季節は巡る。僕たちを乗せて、止まることなく。
(第21話へつづく)