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第19話:文化祭当日、賑わいの一日

地方都市のメロディ 〜桜舞う通学路〜

第19話:文化祭当日、賑わいの一日

午後になり、文化祭の熱気は最高潮に達していた。 グラウンドに設営された模擬店エリアからは、食欲をそそる匂いが立ち上り、体育館からはバンド演奏の重低音が漏れ聞こえてくる。 廊下を行き交う生徒たちは皆、非日常の高揚感で頬を紅潮させ、笑い合っていた。

「記録係、通りまーす!」 蒼井悠真はカメラを掲げ、人波をかき分けて体育館へと急いだ。 次は、合唱部のステージ発表だ。

体育館の中は、蒸し風呂のような熱気と静寂が同居していた。 ステージには、お揃いのベストを着た合唱部員たちが整列している。 その最前列、指揮者の横でピアノの前に座っているのは、藤沢琴音だ。 スポットライトを浴びた彼女は、いつもの眼鏡をかけ、凛とした表情で鍵盤に手を置いていた。

指揮者がタクトを振り下ろす。 最初の一音が鳴り響いた瞬間、悠真は鳥肌が立った。 これまでの練習で聴いていた音とは、明らかに違う。 声量が大きいわけではない。けれど、体育館の空気を震わせ、隅々まで染み渡るような透明なハーモニー。 ソプラノとアルトがぶつかり合うのではなく、溶け合い、一つの「色彩」を生み出している。 (……すごい) 悠真はファインダーを覗くのも忘れ、その音色に聴き入った。 ピアノ伴奏の琴音もまた、主役である歌声を邪魔することなく、水が流れるように寄り添っている。 彼女が部室で語っていた『響き』や『余韻』へのこだわりが、今、形になっていた。 曲が終わると、一瞬の静寂の後、割れんばかりの拍手が巻き起こった。 琴音が立ち上がり、客席に向かって深々と一礼する。その顔には、満ち足りた笑顔が浮かんでいた。

ステージ終了後、悠真は渡り廊下の写真部展示スペースへ向かった。 人通りは多いが、足を止めてくれる人はそう多くはない。 けれど、一人の女性が、パネルの前で立ち止まっていた。 私服姿の佐伯結衣だ。今日は高校の制服ではなく、少し大人っぽい秋色のニットを着ている。

「……結衣先輩」 悠真が声をかけると、結衣は振り返り、ニカっと笑った。 「よっ。見に来てやったわよ、青春の記録係さん」 「ありがとうございます。……どうですか?」 「んー、悪くないわね。みんな楽しそう」 結衣の視線は、一枚の写真に注がれていた。 それは、部室で琴音が絶賛してくれた、あの「雨上がりの水たまり」の写真だ。 タイトルは『after rain』。 「……これ、あんたが撮ったの?」 「はい」 「ふーん……。なんか、静かでいいわね。文化祭の騒がしさの中で見ると、ホッとするわ」 結衣はそう言って、少し目を細めた。 「こういう『何でもない瞬間』ってさ、大人になると忘れちゃうのよね。……大事にしなさいよ」 その言葉には、もうすぐ高校を卒業し、次のステップへ進もうとしている彼女の実感がこもっているようだった。

「さて! 芸術鑑賞の後は、腹ごしらえよ!」 結衣はパンと手を叩いて雰囲気を変えた。 「葵の店が出てるんでしょ? 行くわよ」 「はい!」

二人はグラウンドの模擬店エリアへと向かった。 一番奥、ひときわ長い行列ができている屋台があった。 『かぐらや出張所 〜伝説のソース焼きそば〜』という手書きの看板が掲げられている。 「いらっしゃいませー! 熱々だよー!」 法被姿の神楽坂葵が、鉄板の前でコテを振るっていた。 学校の備品ではなく、なんと店から持ち込んだ業務用の鉄板だ。プロ仕様の火力でキャベツと麺が踊り、ソースが焦げる香ばしい匂いが周囲を支配している。 「葵! 一丁ちょうだい!」 結衣が声をかけると、葵は汗だくの顔で振り返り、満面の笑みを見せた。 「あ、結衣先輩! 来てくれたんですね! 特盛にしときます!」 「さすが、わかってる〜」

葵の手際は見事だった。大量の注文を次々と捌き、笑顔で客に手渡していく。 「ありがとう! 頑張ってね!」 客の生徒たちも、葵の笑顔につられて笑顔になる。 (葵ちゃん、やっぱりすごいな) 悠真はカメラを構えた。 将来への不安を吐露していた川辺の彼女とは違う。 今、この瞬間、彼女は間違いなくこの祭りの「主役」の一人であり、みんなのお腹と心を満たしていた。 カシャッ。 湯気の向こうで弾ける笑顔を、しっかりと切り取る。

焼きそばを受け取った結衣と悠真は、近くのベンチに腰を下ろした。 「ん〜! やっぱりかぐらやのソースは違うわね!」 結衣が豪快に焼きそばを啜る。 「先輩、高校の友達とは一緒じゃないんですか?」 悠真が尋ねると、結衣は箸を止めて、遠くの校舎を眺めた。 「あいつらは彼氏と回るんだってさ。……ま、私は一人で気楽に楽しむのが性に合ってるのよ」 強がりにも聞こえるが、その横顔は清々しい。 「それに、あんたたちの成長っぷりを見るのも、悪くないしね」 結衣は悠真の方を見て、悪戯っぽく笑った。 「写真、上手くなったじゃない。……あの子のこと、ちゃんと撮れてる?」 「え?」 「とぼけないの。一番可愛く撮れてる写真があったじゃない。花壇のやつ」 悠真はドキリとした。展示の中に、陽菜が花を見つめて微笑む写真を一枚だけ混ぜておいたのだ。 「……バレてました?」 「愛が溢れすぎてんのよ。……ま、青春しなさいってこと」 結衣は焼きそばの最後の一口を飲み込み、空になったパックをゴミ箱へ投げ入れた。 「ごちそうさま。じゃあ私、もう少し回ってくるわ。またね」 ひらひらと手を振り、人混みの中へ消えていく結衣。 その後ろ姿は、やっぱりかっこよくて、少しだけ寂しそうにも見えた。

放送部のアナウンスが、文化祭の終了時刻が迫っていることを告げる。 太陽が西に傾き、校舎がオレンジ色に染まり始めた。 祭りの終わりの、独特の切なさを含んだ風が吹き抜ける。

「悠真くーん!」 向こうから、桜庭陽菜が小走りでやってきた。ボタニカル・デザイン部のエプロンを外している。 「あ、陽菜。お疲れ」 「お疲れ様! 悠真くん、焼きそば食べた?」 「うん、今結衣先輩と一緒に」 「そっか。……ねえ、あと少し時間あるけど、一緒に回らない?」 陽菜が上目遣いで尋ねる。 悠真はカメラを握り直し、頷いた。 「うん、行こう」

二人は並んで、夕暮れのグラウンドを歩き出した。 賑やかだった一日が、静かに幕を下ろそうとしている。 けれど、カメラの中には、そして二人の心の中には、今日という日の輝きが確かに刻まれていた。

(第20話へつづく)