地方都市のメロディ 〜桜舞う通学路〜
第12話:陽菜の秘密、お笑い怪獣再び
蒸し暑い夏の夜だった。 窓の外では、蛙の大合唱が続いている。網戸越しに入ってくる風は生温く、扇風機が首を振るたびに、部屋の空気を気怠げに撹拌していた。
「お風呂上がったよー」 リビングでテレビを見ている母に声をかけ、桜庭陽菜は自分の部屋へと戻った。 「はーい、髪ちゃんと乾かしなさいよー」 「うん、わかってる」 パタン、と部屋のドアを閉める。 その瞬間、陽菜の表情から、学校や家族の前で見せている「穏やかで優しい陽菜ちゃん」のスイッチが、カチリと切れた。
彼女はベッドの上にダイブし、枕元のタブレット端末を素早く手に取った。 お風呂上がりのふんわりとしたパジャマ姿。石鹸のいい匂い。 しかし、彼女の瞳は獲物を狙う狩人のように鋭く光っている。
「……キタッ! 島村さんの新作、更新されてる!」
陽菜がタップしたのは、チャンネル登録者数急上昇中のYouTubeチャンネル『オカルトウォーカー』。 胡散臭いサムネイル画像には、赤と黒の極太フォントで『【神回】伝説の幽霊教習所潜入! 闇に蠢くお笑い怪獣(UMA)を激写せよ!!』と書かれている。 陽菜はヘッドホンを装着し、周囲の音を遮断した。 深呼吸を一つ。 再生ボタンを押す。
『はいどーもー! 真実の探求者、オカルトウォーカーの島村周平です! 今日はですね、北関東某所にあるといわれる、廃墟となった伝説の「幽霊教習所」に来ております!』
画面の中では、いつもの黒いジャケットに身を包んだ島村周平が、無駄に良い発音と過剰な手振り身振りでレポートしている。カメラワークはわざとらしく手ブレしており、臨場感(という名の演出)を煽っている。 陽菜はベッドの上であぐらをかき、画面を食い入るように見つめた。
『いやー、ここね、夜な夜な教習車が勝手に走り出すとか、S字クランクに生首が浮いてるとか、噂が絶えない激ヤバスポットなんですが……一番の目玉がね、出るらしいんですよ。「お笑い怪獣」が』
「出ぇへんわ! そんな都合よう芸人みたいな怪獣出るかいな! ネーミングセンスどうなっとんねん島村!」 陽菜の口から飛び出したのは、普段の彼女からは想像もつかない、流暢かつ鋭い関西弁のツッコミだった。 そう、これこそが陽菜の秘密のストレス解消法。 島村周平のチープかつ情熱的なオカルト動画に対し、心の中で、時には声に出して、全力でツッコミを入れること。 彼女の母は穏やかだが、実は隠れお笑い好きで、家ではよく漫才番組が流れていた。その英才教育(?)と、陽菜自身の感受性の豊かさが、奇跡的な化学反応を起こしてしまったのだ。
動画は進む。島村がおっかなびっくり教習所のコースを進んでいく。 『うわっ! なんだあれ!? 白い影が……! こっちを見てるぞ!?』 カメラがズームする。そこには、風に揺れるビニール袋が映っていた。 『……なんだ、コンビニの袋か……。チッ、紛らわしいな……』
「舌打ちすな! 自分が入ったんやろが! ビニール袋に謝れ!」 陽菜は膝をバシッと叩いて叫んだ。 画面の中の島村の茶番劇と、陽菜の的確なツッコミの温度差が、深夜の部屋でスパークする。
そして、動画はいよいよクライマックスへ。 『聞こえる……何か聞こえるぞ……!』 島村が足を止める。風の音に混じって、確かに「ヒヒヒ……」という奇妙な声が聞こえてくる。 『いたぞ! あれが噂の「お笑い怪獣」だ!! 島村、突撃します!!』 カメラが激しく揺れ、ライトが照らし出したのは――。 教習車のボンネットに座り、マイクを持って漫談の練習をしている、ただの派手な服を着たおじさんだった。
『なんでやねん!!』 陽菜と島村の声が完全にシンクロした。 島村は「うわあああ! ネタ見せの練習かよ!」と叫んで逃げ出したが、陽菜のツッコミは冷静かつ鋭利だった。 「練習熱心な不審者やないか! 通報案件や! UMAちゃうわ、ただのUMA(うまい漫談・憧れてる)おじさんや! ……ってか島村さん、逃げ足速すぎやろ!」
動画は、島村が「信じるか信じないかは、あなた次第です……というか、僕も信じたくありませんでした!」と息を切らしながら締めくくり、終了した。 エンディングテーマが流れる中、陽菜は「ふぅ……」と大きく息を吐き、ヘッドホンを外した。 額にはうっすらと汗が滲んでいる。 「……あー、スッキリした。やっぱ島村さんは裏切らないなぁ」 今日の動画はツッコミどころが満載で、非常に「豊作」だった。 ボタニカル・デザイン部で植物に話しかける時の優しい声とは似ても似つかない、ドスの効いた声を出したおかげで、胸のつかえが取れた気がする。
「さてと……」 陽菜はタブレットを閉じ、枕元のスマートフォンを手に取った。 画面には、グループチャットの通知が来ている。
健太:『今日の肝試し、マジでビビったわーw』 陸斗:『あれは科学的に解明できない現象だった(佐伯先輩的な意味で)』 琴音:『もう、思い出させないでよ……』 葵:『でも楽しかったね! 結衣先輩のジュース美味しかった!』
みんなの会話を眺めながら、陽菜の表情がいつもの柔らかいものに戻っていく。 そして、最後に投稿された悠真のメッセージ。 悠真:『みんなお疲れ。今日は星も綺麗だったし、いい一日だったね。陽菜も、大丈夫だった?』
自分の名前が出てきて、陽菜は少しドキッとした。 「……大丈夫だよ、って返さなきゃ」 フリック入力で文字を打つ。 『うん、大丈夫! 悠真くんがいてくれたから、怖くなかったよ。ありがとう』 送信ボタンを押してから、陽菜は「あーっ!」と顔を覆った。 「最後の一文、ちょっと重かったかな……? 『いてくれたから』って、なんか彼女みたいじゃん……!」
さっきまで島村周平に向かって「なんでやねん!」と叫んでいた人物とは思えない、乙女の悩み。 布団の上でジタバタと足をばたつかせ、枕に顔を埋める。 肝試しの暗闇で繋いだ手の感触。 星空の下で見せた、悠真の優しい横顔。 思い出すだけで、動画の興奮とは違う、じわりとした熱が体中を駆け巡る。
『既読』がついた。 悠真からの返信は、可愛い猫のスタンプ一つ。 「……よかった、引かれてないみたい」 陽菜はほっとして、スマホを胸に抱きしめた。
窓の外では、変わらず蛙が鳴いている。 でも、その声はさっきよりも少しだけ優しく聞こえた。 「……お笑い怪獣より、恋の病の方がタチ悪いなぁ」 誰に聞かせるわけでもなく、小さくボケてみる。 でも、今度のツッコミ役はいない。 陽菜はくすりと笑って、電気を消した。
暗闇の中、扇風機の風が、火照った頬を優しく撫でていた。 明日は、悠真くんにどんな顔で会おうかな。 そんなことを考えながら、陽菜は眠りについた。 夢の中で、島村周平と悠真が漫才をしていないことを祈りつつ。
(第13話へつづく)