地方都市のメロディ 〜桜舞う通学路〜
第11話:星降る夜、それぞれの願い
山を降りて市街地に戻ると、そこにはいつもの安心感のある街明かりがあった。 コンビニ「スマイルマート」の前の自販機コーナーで、佐伯結衣が小銭を投入している。 ガチャン、ガチャン、と硬貨が落ちる音が続き、次々とジュースが取り出し口に転がり落ちてきた。
「はい、約束のジュース。怖がらせたお詫びとお駄賃」 結衣は冷えた缶ジュースを一人ひとりに手渡した。 「いただきまーす! うめぇ〜! 生き返る〜!」 浜田健太が炭酸を一気に煽り、プハァと息を吐く。他のメンバーも、乾いた喉に冷たい液体を流し込み、ようやく人心地ついた様子だ。 「ごちそうさまです、先輩」 蒼井悠真が礼を言うと、結衣は自転車に跨りながら片手を上げた。 「いいってことよ。……さて、私は帰って受験勉強の続き。あんたたちは、もう少し夜風に当たってから帰りなさい。今夜は星が綺麗だから」 そう言い残すと、結衣は颯爽とペダルを漕ぎ出し、夜の街へと消えていった。高校生という、今の自分たちより少しだけ先の時間を生きる彼女の背中は、やはり大人びて見えた。
「……さて、どうする?」 秋山陸斗が眼鏡の位置を直しつつ尋ねる。 「このまま帰るのも名残惜しいし、土手で星でも見てかない?」 桜庭陽菜の提案に、全員が賛成した。
スマイルマートからすぐ近く、川沿いの土手は、草刈りされたばかりで青い草の匂いが漂っていた。 街灯の光が届かない、少し暗い場所を選んで、六人は芝生の上に寝転がった。 ひんやりとした大地の感触が背中に伝わり、火照った体を静かに冷やしていく。 川の流れる音が、昼間よりも澄んで聞こえた。 『コロコロ……』と鳴く河鹿蛙(カジカガエル)の声が、涼しさを添えている。
「うわ……すっげぇ」 健太が素っ頓狂な声を上げた。 視界いっぱいに広がっていたのは、宝石箱をひっくり返したような満天の星空だった。 山の上でも見たけれど、こうして静かに寝転がって見上げると、星々が自分たちに降り注いでくるような錯覚に陥る。
「あれがデネブ、アルタイル、ベガ……夏の大三角だ」 陸斗が夜空を指差して解説を始めた。 「へぇ、陸斗くん詳しいんだね」 神楽坂葵が感心すると、陸斗は少し得意げに鼻を鳴らした。 「ゲームの中の宇宙マップを覚えるついでにな。……ちなみに、ベガは織姫、アルタイルは彦星だ。距離にして約14.4光年離れている」 「14光年かぁ……遠距離恋愛にも程があるわね」 藤沢琴音の呟きに、みんながくすりと笑った。
悠真は、頭の後ろで手を組み、無数の光を見つめた。 カメラのレンズを通さずに見る星空は、どこか掴みどころがなく、圧倒的だ。 (写真に撮ったら、この空気感まで写るだろうか) そう考えながら、隣にいる陽菜の気配を感じた。 さっき、暗闇の中で繋いだ手の感触が、まだ微かに残っている気がする。 陽菜もまた、黙って空を見上げていた。その瞳の中に、星の光が映り込んでいる。 (ずっと、このままがいいな) 陽菜の心の中に浮かんだのは、そんな単純で、切実な願いだった。 中学二年生。クラスも一緒、部活も順調、幼なじみのみんなとも仲が良い。 今のこの心地よいバランスが、いつまでも続いてほしい。悠真くんとの距離も、近すぎず、遠すぎず、でも特別なこの距離のままで。
「……星ってさ、音符みたいに見えない?」 琴音が静かに言った。 「音符?」 「うん。夜空っていう五線譜に散らばった、無数の音符。……耳をすませたら、音楽が聞こえてきそう」 彼女の言葉に、みんなが耳をすませた。 聞こえてくるのは川の音と虫の声だけだが、琴音にはきっと、壮大なシンフォニーが聞こえているのだろう。 (いつか、この星空みたいな曲を弾けるようになりたい) 琴音は、母が弾く坂本龍一の『Aqua』を思い出していた。あの透明な響きに、少しでも近づけるように。音楽の道に進むかどうかはまだ決めていないけれど、ピアノはずっと弾き続けていたい。
「俺はさー、あの天の川で泳いでみてぇな!」 健太が突拍子もないことを言い出した。 「バタフライでか?」 陸斗が呆れる。 「おうよ! 星の間をスイスイとな! 気持ちいいだろうなぁ」 「酸素ないから窒息するぞ」 「夢がねぇなぁ、陸斗は!」 二人のやり取りに、葵が声を上げて笑った。 「あはは! 健太ならやりそう!」
葵は笑いながら、夜空に一番明るく輝く星を見つめた。 (みんな、すごいなぁ……) 陸斗は物知りだし、琴音は感性豊かだし、健太はパワフルだし、悠真は写真という特技がある。陽菜だって植物のこと詳しいし。 自分には何があるんだろう。 「かぐらや」の娘としての自分以外に、何が。 ふと、胸の奥に小さな不安の雲がよぎる。けれど、葵はそれを振り払うように、大きく息を吸い込んだ。 (ま、いっか! 今はみんなとこうしていられるだけで!) 彼女は心の中で、星に願った。 『みんながずっと笑顔でいられますように。そして、私もいつか、自分のやりたいことが見つかりますように』
「……流れ星、見えないかな」 陽菜が呟いた。 「見えたら願い事しなきゃね」 悠真が答える。 「悠真は何をお願いするんだ?」 健太に聞かれ、悠真は少し考えた。 写真コンクールで入賞したいとか、新しいレンズが欲しいとか、具体的なことはいくつかある。 でも、一番の願いは――。 悠真は、横に並んで寝転がる仲間たちの顔と、隣にいる陽菜の横顔を盗み見た。 「……秘密」 「なんだよそれー! 水くせぇぞ!」 「いいじゃんか。願い事は口に出すと叶わないって言うし」 「え、そうなの!?」 健太が慌てて口を押さえる。
その時、一筋の光が夜空を走った。 「あ! 流れた!」 「えっ、どこ!?」 「今、ベガの近くだよ!」 「見逃したー!」 「俺は見たぞ! 『新作ゲーム発売日延期すんな』って祈った!」 「そこは『世界平和』とかじゃないの……?」
賑やかな声が、夜の川辺に溶けていく。 涼しい風が吹き抜け、草の匂いを運んでくる。 悠真は、流れ星が消えたあとの空を見つめながら、心の中でシャッターを切った。 星空も、川の音も、みんなの笑い声も、そして陽菜と繋いだ手のぬくもりも。 すべてを、心の奥のセンサーに深く刻み込むように。
「……そろそろ帰ろうか。遅くなると怒られる」 誰かが言い出し、六人は名残惜しそうに身を起こした。 背中についた草を払い合い、自転車の元へ向かう。 「じゃあね! 明日も部活頑張ろうぜ!」 「また明日!」
交差点でそれぞれの方向へ別れていく。 自転車のライトが、蛍のように夜道に散らばっていく。 悠真はペダルを漕ぎながら、ふと空を見上げた。 さっきまで見ていた星空が、家の屋根や電線に切り取られている。 祭りのあとのような、少しの寂しさと、胸いっぱいの充足感。 夏はまだ始まったばかりだ。 この季節が連れてくるたくさんの思い出を、決して色褪せないデータとして、一つもこぼさないように受け止めよう。 悠真はそう思いながら、家路を急いだ。
(第12話へつづく)