地方都市のメロディ 〜桜舞う通学路〜
第5話:放課後の交差点、そして高校生たちの世界
日が長くなったとはいえ、部活動を終えて学校を出る頃には、空は茜色と紫色のグラデーションに染まっていた。 通学路の途中にある交差点は、家路を急ぐ車と、部活帰りの学生たちで一日のうちで最も賑やかな時間を迎えている。
「あー、腹減ったー……」 自転車のペダルを漕ぎながら、浜田健太が大袈裟に声を上げた。水泳部の練習後とあって、彼のエネルギーは完全に枯渇しているようだ。 「また? さっきパン食べてたじゃない」 神楽坂葵が呆れたように笑うが、彼女自身もお腹をさすっている。 「育ち盛りなんだよ! なあ悠真、ちょっと寄ってこうぜ」 健太が顎で示した先には、オレンジ色の看板が温かく光るコンビニエンスストア、「スマイルマート」があった。
『入店音(チャイム)』の軽快なメロディと共に自動ドアが開くと、冷房の効いた涼しい空気と、レジ横のホットスナックから漂う揚げ物の匂いが一斉に押し寄せてきた。 「いらっしゃい。おや、いつものメンバーだね」 レジカウンターの中から、オーナーの石川泰介が人懐っこい笑顔を向けた。恰幅の良い体に店の制服が少し窮屈そうだが、その安心感のある佇まいは、この商店街の「顔」とも言える。 「石川さん、こんばんは! 俺、Lチキ!」 「はいよ。葵ちゃんたちはどうする?」 「私はアイスカフェラテにします。今日ちょっと暑かったから」 「僕は……お茶でいいかな」 悠真、陽菜、琴音、陸斗もそれぞれ飲み物や軽食を手に取る。 石川さんは手際よく会計を済ませながら、彼らに声をかける。 「部活は順調かい? 最近、健太くんがプールで泳いでる音が店まで聞こえてくるよ」 「えっ、マジっすか!? 俺のバタフライ、轟音響かせてます?」 「ははは、元気があっていいことだよ」
買い物を終えた六人は、店の前の駐車スペースの端にたむろした。 健太が熱々のチキンにかぶりつき、陽菜がミルクティーのストローを口に含む。 学校と家の間にある、この「寄り道」の時間。先生も親もいない、自分たちだけの緩やかなエアポケットのようなこの時間が、悠真は好きだった。 アスファルトに伸びる自分たちの影は長く、通り過ぎる車のヘッドライトが時折彼らを照らし出す。
その時だった。 一台の自転車が滑るように駐車場に入ってきて、彼らの前で静かに止まった。 「……あら、奇遇ね。みんな揃って買い食い?」 凛とした、それでいてどこか気怠げな声。 全員が振り返ると、そこには高校の制服に身を包んだ、佐伯結衣が立っていた。 ブレザーを着崩し、スカートは短め。茶色く染めた髪に、耳元には小さなピアスが光っている。一見すると派手なギャルのようだが、その立ち居振る舞いには隙がなく、長いまつ毛に縁取られた瞳は、理知的でクールな光を宿して彼らを見据えていた。
「あ、結衣先輩! こんばんは!」 葵が真っ先に駆け寄る。 「結衣姉ちゃん、久しぶり!」 健太も口の周りを脂で光らせながら手を振った。 結衣は自転車のスタンドを立て、ふぅ、と小さく息を吐いた。その仕草だけで、彼女が背負っている「高校生」という時間の重みが、中学生の彼らとは違うことを感じさせる。 「あんたたち、相変わらず仲いいわね。……石川さん、いつもの」 結衣は店内に向かって軽く手を挙げると、再び中学生たちに向き直った。 「先輩、生徒会忙しいんですか? 今日も遅いですね」 悠真が尋ねると、結衣は肩をすくめた。 「まあね。文化祭の予算折衝で、運動部連中がうるさくて。私が睨みを利かせないと話が進まないのよ」 「さすが、『裏生徒会長』……」 陸斗がボソッと呟く。結衣の役職は会計だが、その実務能力と交渉術で、実質的に生徒会を牛耳っているという噂は、中学生の彼らの耳にも届いていた。 「人聞きの悪いこと言わないで。私はあくまで、正当な手続きを進めているだけよ」 そう言って笑う結衣の表情は、ギャル風のメイクとは裏腹に、どこか大人びていて眩しかった。 同じ地元で育ち、昔から知っている「近所のお姉さん」。でも、高校の制服を着た彼女は、自分たちがまだ知らない難しい数式や、複雑な人間関係の世界で戦っているように見える。
「あ、そうだ。はい、これ」 結衣は鞄からチョコレートの袋を取り出し、葵に放った。 「え? いいんですか?」 「糖分補給。あんたたち、これから受験とか色々大変になるでしょうけど、今は精一杯バカやってなさい。……大人になると、無駄な時間が一番贅沢だったって気づくから」 結衣の言葉に、琴音が少し背筋を伸ばして反応する。 「先輩、それは……経験談ですか?」 「ふふ、さあね。……じゃあ、私もう行くわ。予習残ってるし」 結衣は短く手を振ると、再び自転車に跨った。 「あ、石川さんによろしく言っといて!」 風のように去っていく彼女の背中には、夜の街のネオンが滲んで見えた。
「……なんか、かっこいいなぁ」 陽菜がポツリと漏らした。 「だね。高校生って、すげー大人に見える」 健太も食べ終わったチキンの袋を握りしめながら頷く。 店内から出てきた石川さんが、結衣の去った方向を見て目を細めた。 「結衣ちゃんも、すっかりお姉さんになったねぇ。昔は今の葵ちゃんみたいに、店の中で走り回ってたのに」 「えっ、私が走り回ってるみたいに言わないでくださいよ!」 葵が抗議し、みんなが笑った。
夜の帳が完全に下りた。 コンビニの白い明かりの下、中学生たちの笑い声が響く。 結衣が残していった「大人の世界」の匂いと、自分たちが今いる「子供の時間」の温かさ。 二つの世界が交差するこの場所で、悠真はふと、自分たちが進む未来の道を想像してみた。 今はまだぼんやりとしているけれど、いつか自分たちも、あんな風に颯爽と誰かの前を走り抜ける日が来るのだろうか。
「よし、帰るか!」 「明日も部活だー!」 それぞれが自転車に跨る。 「石川さん、ごちそうさまでした!」 「気をつけて帰るんだよ」
帰り道、悠真はペダルを漕ぎながら、夜風の冷たさを心地よく感じていた。 先を行く陽菜の髪が風になびいている。 その横顔を街灯が照らす一瞬、彼女が少しだけ大人びて見えたのは、きっと気のせいではないだろう。 日常は続いていく。けれど、その中でみんな、少しずつ、確実に変わっていくのだ。
(第6話へつづく)