地方都市のメロディ 〜桜舞う通学路〜
第4話:新緑の息吹と、小さな発見
ゴールデンウィークが明け、季節は春から初夏へとその色を変え始めていた。 抜けるような青空が広がった日曜日。蒼井悠真たちは、自転車を連ねて街外れへと向かっていた。
「うおぉぉ! 風が気持ちいいぜぇぇ!」 先頭を切って走るのは、やはり浜田健太だ。立ち漕ぎで加速する彼の背中は、エネルギーの塊そのものだ。 「ちょ、健太、速すぎだってば!」 その後ろを神楽坂葵が笑いながら追いかけ、藤沢琴音と桜庭陽菜が続く。 最後尾では、少し息を切らした秋山陸斗と、そんな彼のペースに合わせて走る悠真がいた。 「……なんで休日に体力作りみたいなことしなきゃなんないんだよ」 陸斗がぼやくと、悠真は苦笑しながらハンドルを握り直した。 「いいじゃん、たまには。画面の中じゃ味わえない解像度だぞ、この景色は」 「……まあ、フレームレートは無限大だけどな」 陸斗は憎まれ口を叩きつつも、まんざらでもない表情で周囲の景色を見渡した。
彼らが目指しているのは、街の北側に位置する低い山、「緑ヶ丘の森」だ。山といっても本格的な登山をするような場所ではなく、ふもとに小川が流れ、遊歩道が整備された市民の憩いの場である。 市街地を抜け、川沿いのサイクリングロードを走ること約三十分。アスファルトの照り返しが弱まり、空気がふっと冷たくなる瞬間があった。 「あ、匂いが変わった」 陽菜が自転車を止め、大きく深呼吸をした。 そこはもう、森の入り口だった。
自転車を降りて、小川沿いの小径を歩く。 頭上を覆うのは、鮮やかな新緑のアーチだ。数週間前までは淡いピンク色だった世界が、今は生命力に満ちた深い緑色に塗り替えられている。 木漏れ日がスポットライトのように地面に落ち、風が吹くたびに光の斑点がゆらゆらと踊る。 『サワサワサワ……』 頭上で木の葉が擦れ合う音と、足元を流れる川のせせらぎが重なり合い、天然のサラウンドシステムを作り出していた。 「すごい……空気が美味しいって、こういうことかも」 琴音が眼鏡の位置を直しながら、うっとりと呟いた。 「土の匂いもするね。昨日少し雨が降ったからかな、しっとりしてて、いい匂い」 陽菜が地面にかがみ込み、湿った腐葉土と苔の匂いを胸いっぱいに吸い込む。彼女の表情は、まるで宝物を見つけた子供のように輝いていた。
「おーい! ここでお弁当にしようぜ!」 先に川原の開けた場所に着いていた健太が、レジャーシートを広げて手を振った。 「賛成ー! お腹ペコペコ!」 葵が持参した大きなバスケットを置く。中には「かぐらや」特製の唐揚げやおにぎりがぎっしりと詰まっているはずだ。
小川のせせらぎをBGMに、六人のピクニックが始まった。 「いただきまーす!」 青空の下で食べるお弁当は、格別の味がした。 「んー! 葵の家の唐揚げ、やっぱ最高!」 健太が唐揚げを頬張りながら親指を立てる。 「ふふ、お父さんが朝から仕込んでくれたんだよ。隠し味に生姜たっぷりのやつ」 葵が得意げに笑う。 陸斗も黙々と、しかし箸を止めることなく食べている。「……まあ、悪くない」というのが彼なりの最大の賛辞だ。
食後、それぞれが思い思いに過ごす時間になった。 健太は早速靴を脱ぎ捨てて川に入り、沢ガニを探し始めた。陸斗は木陰で携帯ゲーム機を取り出し、現実世界でのHP回復を図っている。葵は川で冷やしていたフルーツを取りに行き、琴音はスケッチブックを取り出して、川向うの風景を描き始めた。
悠真はカメラを手に、陽菜の姿を探した。 彼女は少し離れた場所で、遊歩道沿いの草むらを熱心に観察していた。 「何か見つけた?」 悠真が声をかけると、陽菜は振り返り、手招きをした。 「悠真くん、見て。これ」 彼女が指差した先には、小さな白い花がひっそりと咲いていた。星のような形をした、可憐な花だ。 「これ、『ニリンソウ』っていうの。一本の茎から二輪の花が咲くからニリンソウ。でも見て、この子はまだ一輪しか咲いてないでしょ?」 陽菜の声は、普段よりも少し弾んでいる。 「本当だ。もう一輪はつぼみだね」 「うん。もうすぐ咲くよって、待ってるみたいで可愛いでしょ? 葉っぱの形も独特でね、春の妖精って呼ばれてる仲間のひとつなんだよ」 陽菜は愛おしそうに花びらに触れようとして、指を止めた。触れずに、ただその存在を感じるように見つめる。 ボタニカル・デザイン部で活動する彼女にとって、植物は単なる景色ではなく、名前を持ち、生態を持つ「友人」のようなものなのだろう。 「……陽菜は、詳しいんだな」 「ううん、まだまだだよ。でも、名前がわかるとね、ただの『草』じゃなくて、『あ、この子がここにいたんだ』って嬉しくなるの。図鑑で見た子に会えた時とか、すごくドキドキする」 そう語る陽菜の横顔は、新緑の光を浴びて透き通るように綺麗だった。 悠真は静かにシャッターを切った。 カシャッ。 花そのものではなく、花を見つめる陽菜の、優しい眼差しを切り取る。 「あ、また撮った」 陽菜が気づいて笑う。 「ごめん。今の陽菜の説明聞いてたら、その花がすごく特別なものに見えてきて」 「ふふ、ニリンソウも喜んでるかもね」
その時、風が強く吹き抜け、森全体が『ザザザザ……』と大きく波打った。 新緑の匂いが、風に乗ってさらに濃くなる。若葉の青臭さと、水の冷たさを含んだ風。 「……気持ちいいね」 「ああ」 二人は言葉少なに、森の音に耳を傾けた。 遠くでウグイスの下手くそな鳴き声が聞こえる。「ホーホケキョ」ではなく「ホー……ケキョ」と詰まってしまい、二人して顔を見合わせて吹き出した。
「おーい! そろそろ帰るぞー!」 川の方から健太の声がした。 時計を見ると、もう日が傾き始めている。森の中は、夕暮れが近づくと急激に薄暗くなる。 「はーい! 今行く!」 陽菜は立ち上がり、スカートの土を払った。 「バイバイ、またね」 ニリンソウに小さく手を振り、悠真に向かって微笑む。 「行こっか、悠真くん」 「うん」
帰り道、自転車で坂を下る風は、行きよりも少し冷たかったが、心地よかった。 背中のリュックには、空になったお弁当箱と、カメラの中に収められた「今日の記憶」が入っている。 陸斗は「あー、足いてぇ……」とぼやきながらも、どこかスッキリした顔をしていた。琴音は「いいスケッチができたわ」と満足げだ。 信号待ちで並んだ時、陽菜が悠真に小声で言った。 「また来ようね。今度は、違う花が咲いてるかもしれないし」 「そうだな。またみんなで」 悠真が答えると、信号が青に変わった。 夕焼けに染まり始めた地方都市の街並みへと、六台の自転車が滑り込んでいく。 タイヤがアスファルトを噛む音と、仲間たちの笑い声が、通学路に長く伸びる影と重なった。 それは、なんてことのない休日の、なんてことのない冒険。 けれど、その記憶はきっと、新緑の匂いと共に、彼らの心に深く刻まれるのだろう。
(第5話へつづく)