YMO世代の気持ち

YMOファンメーリングリストの管理者が思ったことを書いていきます。

第3話:悠真のファインダーと、街の情景

地方都市のメロディ 〜桜舞う通学路〜

第3話:悠真のファインダーと、街の情景

ファインダーを覗くと、世界は一瞬だけ息を止める。 切り取られた四角い枠の中で、光と影が交錯し、時間は永遠の一部となる。 カシャッ。 乾いたシャッター音が、放課後の静けさに心地よく響いた。

蒼井悠真は、愛用の一眼レフカメラを下ろし、液晶画面を確認した。写っているのは、校庭の隅に佇む一本の古い桜の木。満開のピークを過ぎ、風に吹かれて花びらが舞い散る瞬間を捉えた一枚だ。 「……うん、悪くない」 独り言を呟き、悠真は満足げに頷いた。

悠真が所属する写真部は、部員数こそ少ないものの、活動は自由だ。基本的には個人での撮影がメインで、週に一度の部会で互いの作品を見せ合う。悠真にとって、カメラを持って一人で校内や街を歩くこの時間は、何にも代えがたい癒しのひとときだった。

悠真がこの地方都市に引っ越してきたのは、小学校三年生の春だった。 両親共に地方公務員である家庭の事情で、転勤は珍しいことではなかったが、当時の悠真にとって、住み慣れた土地を離れることは世界の終わりにも等しい不安だった。知らない街、知らない学校、知らない言葉のイントネーション。 引っ越してきて間もない頃、ランドセルを背負って一人で下校していた悠真は、この街の「空」の広さに驚いたことを覚えている。高い建物が少なく、遠くにはなだらかな稜線を描く山々が見える。川沿いの道を歩けば、草いきれと水の匂いが混ざった、むせ返るような春の匂いがした。 その景色は、不安で強張っていた悠真の心を、ゆっくりと解きほぐしてくれたのだ。 そして、そんな彼に最初に声をかけてくれたのが、浜田健太だった。 『おーい! お前、転校生だろ? 俺んち魚屋なんだ! 遊びに来いよ!』 あまりにも唐突で、あまりにも屈託のない笑顔。その強引さに引かれるようにして、悠真はいつの間にかこの街の輪の中にいた。

「おーい、悠真ー!」 ファインダー越しに回想に耽っていると、プールサイドから野太い声が聞こえた。 レンズを向けると、水泳部の練習中である健太が、プールから上がって手を振っているのが見えた。健康的に日焼けした肌に、水滴が光っている。 悠真はズームリングを回し、ピントを合わせる。 「一枚撮るぞー!」 「おう! カッコよく頼むぜ!」 健太は満面の笑みでピースサインを作り、わざとらしく筋肉を誇示するポーズをとった。 カシャッ。 水しぶきの輝きと、健太の底抜けに明るいエネルギーが、そのまま写真に収まった気がした。 (健太は本当に、太陽みたいだな) 画像を確認しながら、悠真は苦笑する。彼がいるだけで、周りの空気がパッと明るくなる。それは小学生の頃から少しも変わっていない。

プールサイドを離れ、悠真は校舎の裏手へと足を向けた。 次に目に入ったのは、温室の前の花壇でしゃがみ込んでいる女子生徒の姿だった。 桜庭陽菜だ。 彼女は「ボタニカル・デザイン部」の活動として、花壇の手入れをしている最中だった。夕暮れ時の斜陽が、彼女の柔らかな茶色の髪を金色に縁取っている。 悠真は、声をかけるのをためらった。彼女があまりにも真剣な眼差しで、花に向き合っていたからだ。 彼女の手つきは丁寧で、まるで花と会話をしているようだった。スコップで土を寄せ、じょうろで水をやる。その仕草一つひとつに、彼女の優しさが滲み出ている。 悠真は、少し離れた場所から静かにカメラを構えた。 ファインダーの中で、陽菜がふと顔を上げ、風に揺れる花を見て微笑んだ。 (……あ) 時間が止まったような気がした。 派手さはないけれど、どこか安心する、春の日溜まりのような笑顔。 無意識のうちに、人差し指がシャッターボタンを押していた。 カシャッ。 少し大きめのシャッター音に気づいたのか、陽菜がこちらを振り向いた。 「あ、悠真くん」 「……ごめん、勝手に撮っちゃった」 悠真がカメラを下ろして近づくと、陽菜は軍手を外して恥ずかしそうに笑った。 「もう、変な顔してなかった?」 「全然。すごく良い表情だったよ。花、綺麗に咲いたね」 「うん。このパンジー、冬の間ずっと頑張っててくれたから」 陽菜は愛おしそうに花壇を見下ろした。 悠真は、今の写真をモニターで確認することはしなかった。なんだか、自分だけの秘密にしておきたいような、そんな予感がしたからだ。

「悠真くん、今日は街の方も撮りに行くの?」 「うん、そのつもり。商店街の夕暮れとか、いい雰囲気だから」 「そっか。気をつけてね」 「ありがとう。陽菜も、頑張って」

陽菜と別れ、悠真は校門を出て、いつもの通学路を歩き出した。 この街は、決して都会ではないけれど、田舎すぎるわけでもない。駅前にはショッピングモールがあり、少し自転車を走らせれば山があり、街の中心には川が流れている。 悠真は、この「ちょうど良さ」が好きだった。 商店街に入ると、夕飯の買い物客で賑わい始めている。八百屋の元気な呼び込み、豆腐屋のラッパの音、そしてどこからともなく漂う焼き鳥の匂い。 「あら、悠真くん。部活帰り?」 「はい、こんにちは」 「かぐらや」の隣にある手芸店の店主が声をかけてくれる。ここでは、誰もが顔見知りで、誰もが温かい。 悠真はカメラを構え、商店街のアーケードに差し込む夕日を切り取った。 錆びかけた看板も、電柱に絡まる蔦も、ファインダーを通すと、どこかノスタルジックな物語の一部になる。

ふと、コンビニ「スマイルマート」の前を通りかかると、オーナーの石川さんが店の前の掃き掃除をしていた。 「おっ、悠真くん。いい写真は撮れたかい?」 石川さんは、竹箒の手を休めてにこやかに尋ねた。 「はい、何枚か。今日は光が柔らかくて、いい感じです」 「それは良かった。若い感性で切り取るこの街は、私たちが見ている景色とはまた違って見えるんだろうねぇ」 石川さんは目を細めて、商店街の通りを眺めた。 「そうかもしれません。でも、僕はこの街の、変わらないところが好きなんです」 「ははは、中学生が言うセリフじゃないねぇ。でも、嬉しいよ」

石川さんと別れ、悠真は川沿いの道へと出た。 空は茜色から群青色へとグラデーションを描き始めている。川面が夕日を反射して、キラキラと揺らめいていた。 土手には、犬の散歩をする人、ジョギングをする人、そして学校帰りの高校生たちの姿がある。 悠真は最後に、この広い空と川、そして遠くに見える街並みを一枚の写真に収めた。 カシャッ。

画像を確認すると、そこには「日常」が写っていた。 劇的な事件も、派手な演出もない。けれど、そこには確かな体温と、人々の営みがある。 健太の笑顔、陽菜の優しさ、商店街の賑わい、石川さんの温かさ。 自分が引っ越してきて不安だったあの日、優しく迎え入れてくれたこの街の空気が、そのまま写真の中に息づいているようだった。

「……帰ろう」 悠真はカメラの電源を切り、レンズキャップをはめた。 ポケットの中のスマートフォンが震える。グループチャットの通知だ。 『今からかぐらや集合! ラーメン食おうぜ!』という健太のメッセージ。 それに続いて、『私も行きます!』『遅れるけど行くわ』と陽菜や琴音のスタンプが続く。 悠真は自然と笑みをこぼし、自転車のペダルに足をかけた。 ファインダーの外にある、この温かい時間こそが、今の自分にとって一番大切な被写体なのだと感じながら。

(第4話へつづく)