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【訂正・増補版】虹河ラキ「Re:flection」構造分析──聴き直したら、さらに理詰めの曲だった

きっかけ

山佐ネクスト公式VTuber・虹河ラキの新オリジナル曲「Re:flection」(MVリンクをここに)を聴いていて、最初に「おっ」と思ったのが出だしだった。ドラムマシンの乾いたフィルインが2秒ほど鳴って、いきなりサビから始まる。

これ、完全に今どきの曲の作りである。じゃあ全体としてどこまで「今どき」に寄せてきているのか気になって、何度も聴き込んで構成を書き出してみた──というのが前回の記事だったのだが、その後さらに聴き込んだ結果、訂正すべき点と新たな発見がいくつも出てきた。というわけで本記事は前回の分析の訂正・増補版である。改めて完全版としてまとめ直す。

まず、前回記事からの訂正

聴き直しと実測により、前回の記事から以下を訂正する。

  • 曲の長さ:約3分30秒と書いたが、実測したら3分15秒だった。より「今どき」の尺である
  • 終盤のセクション:「Bメロの派生(B'メロ)」と書いたが、聴き直すとここまで一度も登場していない新規のCメロだった。これに伴い「A・B・サビの3素材だけで構成されている」という読みも撤回する(詳細は発見4)

結論の方向性(器は現代型、中身は伝統型)は変わらないどころか、訂正によってむしろ補強された。その理由も本文で書く。

前提:今どきのヒット曲フォーマット

ストリーミングとショート動画の時代になって、J-POPの標準フォーマットはだいぶ変わった。ざっくり言うとこんな感じ。

  • イントロは10秒以内、あるいはサビ始まり(スキップされる前にフックを聴かせる)
  • 曲全体は3分前後(昔の4分半〜5分から大幅短縮)
  • ギターソロや長い間奏は省略・短縮
  • 最初の15秒(切り抜かれる尺)に最大のフックを置く
  • 2番を圧縮したり、展開を飛ばしたりして飽きさせない

この物差しで「Re:flection」を測ってみる。

全体構成

聴き取った構成は以下の通り。全長は3分15秒(実測)。

サビ(+リフレイン×1)
 ↓
間奏(ブリッジ)
 ↓
Aメロ → Bメロ → サビ(+リフレイン×2)
 ↓
間奏 → Aメロ → Bメロ
 ↓
間奏(※キングパルサー引用!)
 ↓
Cメロ(新規メロディ・歌謡曲テイスト)
 ↓
落ちサビ(リフレインなし)
 ↓
ラスサビ(+リフレイン×3)

「リフレイン」というのは、サビの最後の2小節を繰り返すパートのこと。これがこの曲の設計の核心だったので、後で詳しく書く。

発見1:サビの尻尾が「モジュール」になっている

この曲、サビが4回登場するのだが、それぞれ長さが違う。最初は「頭サビはショート版なのかな」くらいに思っていたのだが、聴き込んでいくと正体が分かった。サビ終端の2小節がモジュール化されていて、その繰り返し回数で各サビの重さを制御しているのだ。

  • 頭サビ:リフレイン×1(名刺代わりに軽く)
  • 1番サビ:リフレイン×2(しっかり聴かせる)
  • 落ちサビ:リフレイン×0(!)
  • ラスサビ:リフレイン×3(過去最大)

注目は落ちサビの「×0」である。それまで2回「サビの後にはあの2小節が来る」と学習させておいて、3回目で取り上げる。この欠乏があるからこそ、直後のラスサビ×3が「ようやく来た、しかも最大で」という解放になる。焦らしと報酬の設計として実にうまい。

そして、ここでパチスロファンとしてはピンと来るものがある。この「段階が進むほど重くなる」設計、ステップアップ演出の文法そのものではないか。ステップが進むほど熱い、というあの法則である。頭サビ×1が告知、1番サビ×2でステップアップ。そして落ちサビでは演出そのものが消えるが、パチスロにおいて音や演出が「消える」のは、むしろ本命の前兆だったりする。静寂を挟んで、ラスサビ×3で完走──大当たりである。山佐公式VTuberの曲のクライマックスが遊技機の期待度演出の文法と重なって見えるのは考えすぎかもしれないが、作り手が機種サウンドの文化圏にいる人なら、無意識にでもこの感覚が出るのではないか。少なくともパチスロファンの耳には、そう聴こえてしまう符合である。

発見2:リフレインは間奏に「被さって」いる

さらに聴き込むと、このリフレイン部分、バックの演奏はもう次のセクション(間奏)に進んでいることに気づいた。つまりボーカルはサビの続きを歌っているのに、伴奏は既に場面転換している。

音楽理論で言うエリジオン(フレーズのオーバーラップ)という古典的な技法だが、この曲での使われ方はきわめて現代的だ。サビが終わって間奏に移る瞬間というのは、リスナーの集中が切れて指がシークバーに伸びる最大の危険地帯。そこにボーカルのフックを被せておけば、聴き手は歌を追いかけたまま気づけば間奏の中にいる。

3分15秒に十数個のセクションを詰め込めた種はこれだと思う。各セクションが短いだけでなく、境界そのものを重ねて時間を節約しているのだ。

発見3:2番にサビがない

構成表をよく見ると、2番はAメロ→Bメロと来て、サビに行かずに間奏へ飛ぶ。期待した展開を外して飽きさせない、これも圧縮時代の常套手段である。同じ流れを2回まるごと聴かせない。

発見4:Cメロの歌謡曲感

落ちサビの前に置かれたCメロ(ここまで一度も登場していない新規メロディ)が、なんとも懐かしい歌謡曲テイストなのである。

落ちサビの前にCメロを置いて情感を溜めるのは、それこそ90年代J-POP以前から続く王道の文法だ。フォーマット面ではあれだけ現代型に振っておきながら、クライマックス前の一番おいしいところでは新規メロディをきちんと1本書き下ろし、しかもそれを歌謡曲の語法でやってくる。この曲の「中身は伝統型」という性格を最も象徴している場所だと思う。

冒頭で書いた「訂正によって結論がむしろ補強された」というのはここのことで、前回の「Bメロ派生」説より、王道の位置に王道通り新規Cメロを置いている今回の読みの方が、伝統型の証拠としてずっと強いのである。

発見5:間奏でキングパルサーが流れる

そして山佐公式VTuberの面目躍如、2番の間奏でキングパルサーのフレーズが引用される。

これ、単なるファンサービスに見えて、実は「ギターソロの代わりに意味のある引用を置く」という現代的な間奏の使い方になっている。無目的な間奏はスキップされる時代に、パチスロファンなら絶対に飛ばせないネタを配置する。外部の作家がやるには権利処理が要るところ、山佐なら自社IPなのでノーコスト。うまい。

結論:器は2020年代、中身は歌謡曲

まとめると、この曲は二層構造になっている。

パッケージ(器)は完全に現代型。 頭サビ、2秒イントロ、3分15秒という尺、2番のサビ省略、境界のオーバーラップ、意味を持たせた間奏。曲の「聴かれ方」への対応は徹底している。

中身(メロディ言語)は伝統型。 A→B→サビの王道階段、リフレインで締めるサビ、落ちサビ→大サビのクライマックス、そして歌謡曲テイストのCメロ。

そしてこれはたぶん偶然ではない。パチスロファンの中核層は歌謡曲〜90年代J-POPのメロディで育った世代であり、キングパルサー引用が刺さるのもまさに同じ層。現代のフォーマットに、ファン層の耳に馴染むレトロなメロディ言語を載せるという、実に合理的な設計に見えるのだ。

最初の問い「トレンドに合わせてきているのか?」への答えは、「フォーマット面は全面的にイエス。ただしメロディはあえて合わせず、客層に寄せている」となる。

おまけ:作曲者は誰なのか

クレジットが気になるところだが、遊技機まわりのサウンドは作家名非公開が慣例で、CD化やサントラでもない限り分からないことが多い。

個人的には、キンパル引用がシームレスに組み込まれている点から、機種サウンドの素材やノウハウに直接アクセスできる内製(山佐サウンドチーム)説を推したい。一方で、リフレイン回数の制御やオーバーラップの仕込みっぷりを見ると、商業シーンで揉まれた外部作家の仕事と言われても納得する。いずれにせよ、素人仕事ではないことだけは構造が証明している。

配信やカラオケに載ればJASRACのJ-WID(作品データベース)やNexToneで作家名が検索できるようになるはずなので、判明したら追記する。


※聴き取りベースの分析なので、細部の誤りはご容赦を。気づいた点があればコメントで教えてください。

はい、ここまでは私が聞いた感想をClaudeに投げてまとめてもらった内容です。 FM PORTリスナーだった私はこの曲に近いなと感じました。 作曲者はボカロPではないですかね?

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